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手毬さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
>自分の出来ないことが出来ている、人々(特に、福祉関係の人々や、買い物や外食先での店員の様子、よくおしゃべりしてにこやかで、よく気の回るお母さんたち)を見ると、やはり違う、と感じざるを得ないです。
ああ、お子さんがいらっしゃるとワタシなんかもそうですが、
他のお母さんたちってスゴイ!と、つい比較しちゃいますよね。
>なんと説明しようか?そのうちにわかるでしょう、と流すことがなかなか出来ずに、違和感を抱えがちになります。
そうなんですよね…流すことも難しいんですよね。
ワタシは以前、友人に「自他の境界が低過ぎ」と言われて、それ以来
他の人は他の人、と気にしないように努力するのですが、疲れている
ときなど特に、気にしないようにと気にし過ぎる(苦笑)傾向があり、
相手は気にしてないだろうに1人相撲だな、と、とても疲れます。
>後で、その当事者に会ったときには、気を余計に使います。(前に引きずったマイナスの感情を顔に表さないために)
すごく気を使って、自己コントロールなさってらっしゃるのですね。
ワタシはすぐ顔に出るので見習いたいです。
>頭ごなしに「あなたは悪い」と指摘された
ひとりごと、拝読いたしました。
なんというか、ひでー、というのが率直な感想です。お疲れさまでした。
>「私たちでも大変ですよ」という意味のことを言われ
これも困るんですよねー。
以前、切羽詰って相談したときに同じような対応をされて、
いやお宅様と同一視されてもこっちはお宅様をよく知らないし、
事情は個々に違うのだから、お宅様やよそ様のことを引き合いに出され
ても共感にも慰めにもならない、とムカツいて、別の窓口を紹介して
もらったことがありました。難しいですね、言葉って。
>相手と笑い会えたとき。集団に入っていって、顔を合わせた時に、喜んでもらえたとき。何よりも、肯定的な笑顔が自分に向けられたときの喜びは、ほかに比べようがありません。そして何より、自分の子供が、保育園や、親戚、地域でで歓迎され、喜ばれていることを感じたときです。
本当にそうですね。
コミュニケーションって難しいですが、決してコミュニケーションを
諦めたり嫌っているというわけではない小心な自分、というものを
大事にしたいナと、最近つくづく思います。ありがとうございます。
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