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すみません、もうひとつ思うことがやっぱりあるので、ちょっと追加で書かせてくださいね。
>「コミュニケーション障害はアスペルガーの特徴だから諦めなさい」と
>知り合いに言われましたが、私は納得がいかないです。
>苦手分野なのも、特徴なのもわかってます。
>でも諦めるってなんなのだろう?親としてそんなことできるはずがないですし
>克服するまでいかなくても、人並みにコミュニケーションがとれるようになったら
>素晴らしいことですよね!
「諦めなさい」って ないですよね・・・・・
それって本当の意味の受容ではないという気が私もします。
このところ、アスペルガーの人や自閉圏の人が持っている苦手や困難さを、“(どうせ)できないんだから それをできないこととしてあげるのが受容だ”って風潮が強くなってないかなって感じてきています。
できないんだから、苦手なんだから、やらせない、みたいな。
でもそれって、その人の可能性そのものを否定してるように強く思えます。
無理してやらせることには意味がないどころか悪影響しかないと思いますが、最初から諦めて、決めつけて(どうせ)できないとするのは違うと思えるんですよね。
苦手なのとできないのは、違いますから。
サポートって、諦めてやらせないことじゃなく、待ってあげること、本人が出来る喜びを感じられるように工夫・土台を作って成功させてあげること、のように個人的には思っています。
支援をする私のような親にできることは、『種をまくこと』『水をあげること』『光をあててあげること』。
芽が出るかどうか、育つかどうかは、その子次第。
でも、種もまかず、水もあげなくては、育つ芽があったとしても育たないから。
そんなふうに思っています。
ただ、克服ということは 全く思っていません。
私は、子供に定型者と同じになる必要も 同じ考えを持つ必要もないように思っています。
その代り、自分とは違うとしても、定型者の気持ちや心の動きも自分と同じように大事にしてあげられるように学んでいってほしい、とは思っています。
英語圏に行ったら、日本語で頑固に通すより英語を学んでいって使ったほうが過ごしやすい、というのと同じ感覚ですね。
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