アスペルガーの館の掲示板

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[#30779] 中途で診断されて・・・・・気持ちを整理するには 発達心 09/6/6(土) 5:50 [未読]

[#30804] Re:中途で診断されて・・・・・気持ちを整... めえめえ 09/6/8(月) 9:29 [未読]

[#30804] Re:中途で診断されて・・・・・気持ちを整理するには
 めえめえ  - 09/6/8(月) 9:29 -

引用なし
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   ▼発達心さん:
>甘えともとれる文面を乗せてしまい、失礼いたしました。
>
>明日から、前向きに目の前のことを頑張ります。
>
>派遣切りで絶望し、つい書き込んでしまいました。

発達心さんご自身が派遣切りされたということでしょうか。
ときどき絶望感がよぎるのは誰にでもあることだと思うし、
何らかきっかけがあればなおさらありうることだと思います。
必ずしも甘えと自分を責める必要はないでしょう。
(ワタシなど子どもの授業参観のたびに先の見えない穴に落ち込んだ
 ような悲嘆を感じていました。アタマじゃ理解してても…ね)

ある本で、子どもの障害を親が受容することについて書いてある部分で
親が子どもの障害を知ったときに感じる喪失感として、
「マジョリティーとしての価値観の喪失」があるという文がありました。

>つまり、「普通の子どもの親」という立場を失って「障害児の親」となり、
>健常者に価値を置く世間から脱落した感覚である。それはことばが通じず、
>ほかの人々と心を通わすことができない異邦人としての孤立感でもある。
(『発達障害と家族支援』中田洋二郎、学研より)

最初読んだ時、これって成人当事者自身にも当てはまる!と思いました。
「マジョリティーとしての価値観の喪失」!うん、そうなんだよね、と。

しかもこの本の続きの部分で、障害に直面することで、(親の)人生や
生命、障害に対する価値観の変化が起こり、価値観の変化によって
より障害の理解や受容が深まる可能性が予言されています。

当事者としても自分の障害とつきあうために、マジョリティーとしての
価値観にしがみつく(普通らしく振舞い普通に見えるよう努力する)
だけでなく、障害を含めた自分を認め、マジョリティーとしての価値観に
代わる、自分らしい価値観と生き方を模索していこうとすることが
大事ではないか、という気がします。

無理矢理に前向きに自分を推し進めるだけでなく、喪失感を持っている
ことを自覚し、喪失感や、たまに慢性的な悲哀が表出するのは当り前だ、
ぐらいの気持ちでいるといいのではないでしょうか。
何かを掴もうとするときは、今手にあるものを手放さないと、キャッチ
できないのです。しかし、多少不便でも今手にしたものを手放すのは
誰でも不安で仕方がないものです。
「普通だったら…もっと早く療育が受けられてたら…」という後悔を
すぐさま捨てる必要はないと思います。
まず、違和感を抱えながらも自分なりに適応しようと努力してきた
自分をそっと認めて、頑張ってることをほめてあげてください。
長文、失礼しました。

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