アスペルガーの館の掲示板

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[#3075] 混乱しています ゆみこ 05/1/22(土) 11:22 [未読]

[#3135] Re:混乱しています ゆみこ 05/1/24(月) 2:03 [未読]

[#3135] Re:混乱しています
 ゆみこ  - 05/1/24(月) 2:03 -

引用なし
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   お返事ありがとうございます。

>相変わらず深刻そうですね。

そうなんです。
でもこれを考え始めてから実生活では割と気力が湧いてきてたりはしてるんです。
なぜだか分からないんですけれど。

>貴方が混乱を感じるのも無理からぬことだと思います。
>症状は十人十色、確定診断の出ていない「グレーゾーン」の常連さんも多数いる、統一的な生活アドバイスも必ずしも参考にはならない、…

十人十色、っていうところが難しいですね。
「自分とは全然違う」と思えるようなことが出てくるとこれまた混乱・・。


>確かに、私も幼稚園の年長組までは病院の中にがんじがらめにされていたため外の世界をほとんど見ることができず、親類の者もほとんど病気らしい病気をしたことがこの時期はなかったので、「なぜボクばっかり」という意識が常にありました。

そんなに小さい頃に「ボクばっかり」と思えたというのがすごいなと思います。
私など小学校高学年くらいまではっきりした記憶も記憶に伴う感情もあまり無いような気がします。すごく断片的にしか分からないです。
ところで私も2才ころまで川崎病に罹り再発もし、それに3才〜4才には母親が肺の病気で1年近く入院、ほとんど触れ合うことは許されず、きちんとした意識があれば「なぜわたしばっかり」の幼少期でした。
父は私が「変わっている」のはこの辺りの後遺症だと思っているようです。
医者に覚悟しろと言われ「助かったとしても普通の生活は諦めて」と言われたので無理からぬことなんですが。
逆にこれが原因と思われていることでラクだった面もあります。
「この子は生きてるだけで儲けモン」と両親が話してるのを聞いたこともあり、ほとんど何も期待が無かった分ラクと言えばラクでした。

>それでも幼稚園では他の園児と運動能力の格差が小さく、今では信じられないことですが、当時46名いたクラスで学芸会のお遊戯の代表12名に選ばれたことがありました(しかもその演目をしっかりこなしていた)。どこで歯車が狂い始めたのでしょう?

同じような経験てあるものですね。
私も学芸会ではある思い出があるんです。
会の前日になって主役級の台詞の多い役の子が熱出して休んだんです。
練習の時に何がどうなってかよく覚えてないのですが、その他大勢せりふ無しの役だった私がその子の役の台詞を全部喋り始めた、先生達がびっくりして大騒ぎして、それで結局当日は私がその役をやってしまった、というようなことがありました。
まるで何かのドラマ仕立てみたいな作り事のような話なんですが。

>その一方で、私がASゆえに体験したことは、他の児童生徒もどこかで体験しているのではないのかな、という意識は長いことありました。ギャップを感じ始めた原因は、やはり室蘭に引っ越してから凄まじいいじめの洗礼を受けるようになったことでした。

子どもの頃から既に「自分はどうなのか」と考えていらしたってことですね。
私は40過ぎてやっとそこに到達したのかも知れないですね・・。
いじめに関してですが、環境によって違ってくるものなんですね。
私の小学校時代はこんなこと言うと同級生に失礼なんですが、今思い起こしてみると「変わった子」というのがクラスには多くいたように思います。
家庭の事情が複雑な子も多くいましたし、天才級の子もいましたし、「ちょっとくらいヘンが普通」だったような気もします。
考えてみると、小さい頃の病気や学校の環境、色んなことが私にはラッキーに働いていたのかも知れません。

>私は、貴方の感じているような「矛盾」を、たまたま身体障害があったばかりに30年以上前から感じていましたが、その「矛盾」との付き合いは今も続いています。

やっぱり私はこの年になって初めて、で遅すぎですね(笑)。
私自身は違和感を感じていたにも拘らず、一番理解のあった祖父をはじめ、両親にかなり守られていたところがあるのかも知れません。
小学校時代にもまた大病をして2年間入院し、それも出産に際しては致命的になる慢性疾患だったものが、二人産めてますし、私自身の精神的な違和感やしんどさは別にしても「生活」という面では恵まれていたのかも知れません。
恵まれていた、ということで思い出したんですが、2年間も休学していれば復学する時下の学年に入るのが普通ですよね、それが私の場合は教育委員長様が面会に来てくださり「そのままクラスの皆と一緒に進級しましょうね」と言ってくださったんです。
これが遅れて下の学年に入っていれば私自身のストレス爆発!?なりイジメなりが起こっていたかもしれないのに、今思えば本当に有難いことです。


>やはり自分がASと知って今までの自分に納得ができるようになった人もいますが、貴方と同じように「驚天動地」というほどのショックを感じた人はかなり多いと思います。(私もかなりショックを感じたほう)しかも私はこのフォーラムの常連になってもしばらくは現状を受け入れることができませんでした。

私も今「受け入れる」というのが出来ないでいます。
受け入れたら気持ちがラクになるとは分かっていながらも。

>私の場合は、やはり自分のWebページを作って、そこで事例解析を行ったことがかなり大きかったと思います。もちろんこれは自分の心の傷を外部にさらけ出すことにもなるので、よほど度胸の必要なことです。
>ただワープロ書き程度の原稿を手元に残しておく程度なら、一時的にはつらい思いはあるかもしれないけれど自分を客観視できるようにはなるかと思います。

「私はラッキーだった」と思っているのがこれまた「嘘の過去」だったら??という疑問も実はあるんです。
心の傷をどこかに押しやってしまっているのかも知れないという思いもあることはあるんです。
すごく逃げ回っている、という感じかも知れません。

>どうしても他人の心理的な状態には同情することはできても、感情移入には限界があるので、本人の苦しみを100%理解できる人間が本人しかいない、というのは残念ではありますが、このフォーラムでは同じ悩みを抱えている人がたくさん集まってきており、そのせいでしょうか、他の人でも悩みが解決した、という朗報コメントがあるとまるで自分の事のように嬉しく感じることが多いです。
>まだまだ現状を受け入れるのに時間はかかるでしょうが、未来に希望を託すことは重要だと思います。

このフォーラムはすごく居心地がいいです。
それでついつい好き勝手に吐き出すように書いてしまってるのですが。
私の場合は今が最初の一歩、と思ってあせらないでいようにします。

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