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手毬さんへ
お返事どうも有難うございます!お返事がきていた事に気付かなかったので、
少し遅れました。すみません。
フェミニズムについて、非常に深いお話になってきて、正直内容を理解する事が難しくなって来たので、少しネットでフェミニズムについて勉強させて頂きました。
奥が深いです!
>20代の頃でしたが、ある趣味の集りで、講師である年配の男性から、ある中年の女性に対して、「(手毬の)言っている意味が分からない、通訳してくれ」と命じていて、くだんの女性は、フェミニズムの関係者だったにもかかわらず、彼の威圧的な態度に対して従順だったので、????だったことがありました。彼女は、人々の動きにそつなく適応できる、普通の定型発達の適応をしていただけだと、診断を受け、本を読むうちに後で納得しました。当時は、東京で一人暮らしをしていて、フェミニストといわれる女性達と、度々話をしたことがありました。
私も当時の手毬さんの立場であれば、きっと同じようにその『フェミニズム関係者の女性』の行動が理解できなかったと思います。
実は、私もこれと似たような体験をしていた事があり、ずっとその事について疑問に感じていたのですが、自分がASだと理解してやっと理解できた事でした。
その内容と言うのは、この掲示板で書いて良いものか、他の人の気分を害するのではないかと非常に迷った事なのですが、どうやら『フェミニズム』を語る上で関係が切っても切れなそうだと思ったので告白します。
実は私は同性愛者で、彼女がいます。
その彼女がいつも男性と話をする時に、通常よりも声のトーンが上がり可愛らしく対応しているので、何故私と対応する時のような対応で男性と接しないのか?実は両性愛者なのか?と問いただした事が何度もありました。
後に、彼女の男性との対応は社会に適応した、定型発達者のものだと理解しましたが、私は未だASである自分を理解してから日が浅いので、『お世辞、愛想笑い』といったコミュニケーション力に欠けているようです。
(論点がズレていたらすみません。また、私は同性愛者だからと言って、
いわゆる『レズビアン・フェミニズム』や『レズビアン・セパレーティズム』といった思想はありません。また、気分を害してしまったのならすみません。)
一つ疑問に思ったのですが、手毬さんは政治家関係のお仕事をしていらっしゃるのですか?フェミニストの方とよくお話されている様なので。
>フェミニストであれば、逆に、男性を立てる対応をしている人々と、そうでない人に別れると思います。意識がはっきりしているだけに、かえって保守的な同性の方が、話をしていても気が楽だったことがありましたが、フェミニストの女性によると、どっちみち扱いが表向き女性を立てているように見えても、女の人を「女性」という決まった枠の色眼鏡で見る以上は、あくまでも「第2の性」であることには変わらないようです。ですので、フェミニストが悪い存在か否か、決められるとは思えません。そうレッテルを貼られたところで、尊敬か、排除か、かなり別れるところですが、そう言う人たちにとっては、単に「怖い女」と、いう記号に過ぎないと思います。
『フェミニズム』について少し勉強したので解りましたが、私達女性はこの思想のお陰で現在在る様々な恩恵(完全では無いですが、女性参政権、育児休暇、セクハラ・DV・強姦・近親姦の禁止、社会進出)を受けているのですね。
在り難いことです。でも同時に私の中には『反フェミニズム』的な思想も存在します。と言うのは、最近『人工中絶』に対する人々の意識の低下に疑問を持つからです。「子供をおろす、おろさない」この言葉自体に私は非常に嫌悪感を持ちます。簡単な言葉の表れに反して、その言葉の持つ意味の重さが計り知れないものだと思うからです。
『反フェミニズム』とは言っても、私のような同性愛者が『少子化』について声を荒げて言える立場では無いのですけれど。
正直、子供は大好きなので欲しいです。でも子供の周りを囲む環境を想うととても産む気にはなれませんね。悲しいですが。
論点がずれてしまってすみません。『保守的なフェミニスト』であれ、『保守的でないフェミニスト』であれ結局行き着く先は同じ意見なのですね。男性に女性という形式だった、色眼鏡で見られているという。
なるほど、フェミニストは男性から怖い女性に見えるでしょうね。苦笑
『フェミニズム』と一言で言っても、その中でも色んな思想に分かれていて、それぞれがどこまで『フェミニズム』を追求していくべきなのかも私には、難しいですが、少なくとも現在の日本には更にフェミニズムを追求していくべき余地は有るのだという事だけは解りました。(更に育児休暇を取りやすい社会にしたり、女性でも会社で高い地位の職に就きやすくしたり等)
『目に見える男女平等』(参政権等)の確立は比較的容易なのに対して、『精神的自由権に関わる男女平等』の確立は、日本という古くからのしとやかで、物腰の柔らかい女性らしさを美徳と考える等の文化から難しそうですね。
>あ、説明不足ですみません。「濡れ衣」という意味は、
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>1.女性と言うことで、人間一般からの例外として、「女性」という、色眼鏡で見られて、男性に対しては、なされない解釈がつきまとい、例えば、怒っているわけでなくても、怒った、と男性以上に過剰に解釈されたりすること。
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>2.特に、今で言うセクハラに近い会話、対応が向けられたときなどに、異議の申し立て(1.に近い誤解と重なり)をすれば、からかい混じりに、「フェミニズム」のレッテルを貼られるので、事を荒立てないためには、ひたすら、我慢するしかない。
>
>以上、2通りの意味でした。からかい混じりで、そういった濡れ衣を着せられることは、定型、当事者にかかわらず、女性に降りかかる災難といえるでしょう。当事者の場合は、なぜ、そう言われるのか、こらえて適応しても悔しい思いを持ち越すか、その時のパニックで失敗するか、時間が経たなければ分からないので苦労します。定型の場合は、不本意で怒り心頭でも、空気を読んで、合わせられるという事が出来るのでしょうか。
なるほど、解りました。大きく『濡れ衣』の意味を取り間違えてしまっていたようです。(苦笑)
『濡れ衣』は『精神的自由に関する男女平等』を求めたフェミニズムの過剰反応に取られやすいという事でしょうか。(また間違っていたらすみません)
話は変わりますが、私も大勢での討論の場(大学での意見を発表する場)で、自分のこだわりから、パニックを起こして一人で自分の主張を通してしまった事があります。当時はASだという自覚も、それがこだわりだという自覚も無かったので悔しい想いをしました。
その内容とは、大学の教育学の授業の中の『食育』をテーマに新たな教育方法を研究していく事を目的とした授業で、内容は賛否両論の映画『ブタがいた教室』にもなったものです。
内容の粗筋は、小学校低学年からブタを食べる目的で学校で飼いましょうと先生が提案したのをキッカケにブタを飼い、卒業間近の時に生徒の多数決からブタを食肉工場に連れて行くか、このまま学校で飼い続けるかを生徒達に決めさせるものだったのですが、結果は賛成派の生徒と反対派の生徒の半々になってしまい、最後の一票を先生自身が苦悩の末投じるといったものでした。
私は、動植物に対する愛情が半端なく強いようで、最後まで「命の尊さから食育を教えるのであれば、他により良い方法があるのではないでしょうか」と半泣きになりながら訴えていました。今から思えば、40人いたクラスの私だけが反対派だったので、とても空気を読んでいたようには思えませんね。
>その「共感」の部分ですが、最近、子供を保育園に行かせる車の中で、カーラジオの放送で、松谷みよ子の童話が朗読されていて、子供の名前を呼び続ける母親に対して、すずめから、死んだ子供が、貝になったことを知らされる場面が耳に入り、(え?死んだの?)と、思わず号泣し、息子がびっくりしてしまい、息子から、「大丈夫?」と声をかけられて我に返っても、涙が止まらず、保育園に着くやいなや、何にもなかったように、挨拶、用具の支度、子供の見送りをすませて、家に向かう車に戻るやいなや、また涙が止まらない状態に戻って、何かに操られているような感覚になったことがありました。普段とは打って変わった自分の反応に戸惑いました。
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>本当は子供といたかったことと、保育園への登園との矛盾した気持ちが、童話の母親への共感として現われたとも思えますが、それを、「母親の本能」として、仮に誰から、仮に言われたら、違和感(本能?ちょっと違うな・・・でも、相手がそう見るなら、仕方がない)を感じると思いますが、そこで笑うのが適応だと思っています。(9割当っていても1割は違うな???と思っても、本音の1割の部分は、言わない方が角が立たないので、言いません。)もっとも、こちらに火の粉がかかるならば、話は別ですが。
私もそのような事がたまにあります。後々自分の感情を分析してみないと解らなかったりするので厄介ですが、自分の置かれている状態と、一旦シンクロしてしまうと、驚くほど共感が持てるということですよね。
>クリニックで上記の、「何かに操られているような感覚になったこと」を話しましたが、別におかしいとも何とも言われませんでした。
>中年に入り、「可愛い女の子であること」が求められなくなったせいか、女性タレントの演出や、少女向けの娯楽などで、主人公が、甲高い声で、「可愛いこと」を自己アピールする演出を見るや聞くや、瞬時に無意識に舌打ちしていたりで、どうも好きになれません。母もそんな少女が嫌いで、自分が、未成年の頃、当時中年だった母の持っていた趣味の影響を受けたのかも知れません。
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>しかし、女性向けのアクセサリーや、服などで、そういった「女らしい」もの、女性好みの小物などを見ると、むしろ好感を持ちます。私自身、手毬のカラフルな色彩が好きなので、HNにも使っています。
>(元のHNは、「てんまりこ」でした。意味は「跳ねっ返り」になってしまうということでしたが。)そこで、短く「手毬」に変えました。人によっては、「結局女らしい」と思われるか、「素直でない女」と解釈されるか、よく分かりませんが・・・(苦笑)
『てんまりこ』とは可愛らしい言葉の響きですね!私も手毬の色彩が好きです。
未だに不思議な事に、ここまで男性的な考え方をしている私ですが、好きになるものや、身に付けたい物は非常に女性的なようです。(バラの花が大好き、ロリータも昔していました)ここら辺が自分でも解らないのです。
『フェミニズム』に対する良い勉強の機会になりました。どうも有難う御座います!長文・乱文失礼しました。
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