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めえめえさんへ
夏休み、お盆の親戚の集まりは、定型者にとっても「なかなか疲れるわい」
というものでもあろうと思います。お互い「お疲れさま」です。
>1.社交辞令が相変わらずわからない
>
>「久しぶりに会えて嬉しい」と近づいてくる親類。
>何年か前に「親戚でもなければ、あんたたちなんかとつき合いたくない」
>と言われたので嫌われてると思ってたけど、本人は忘れてるんでしょうか?
>それともこれが社交辞令というものなんでしょうか?
>非常に困惑しプチパニックでした。笑ってごまかしたけど。
このパターンは誰でも、めんくらってしまいまいねぇ。
言われた方は忘れて無いですから。
だけど、ひどいことをあからさまに言う人ほどケロリ自分の発言を
忘れちゃっていることってありますから、本当にもう「笑ってごまかす」
しか無いし・・・その対応って正解&無難だと思います。
良く対応したなぁ、めぇめぇさん。って思いますよ。
>
>2.言葉の定義がひとによってかなり異なるらしい?
>
>引退して引越しした親類に、お友だちできましたか?ときいてみたら、
>「え?ご近所みんな、いいお友だちだよ?」と、不審そうに言われた。
>えええ?そんなわけないだろー?気が合って話題が合って、一緒にいて楽しい
>のがお友だちで、その他は”ご近所さん”とか”知り合い”じゃないの?
>”お友だち”の定義が、そもそも違ってるらしい、と発見。
>そして普通のひとは自分の定義を当たり前と思い込んでるらしい、と発見。
世間話できるレベルの相手を「お友達」と言っちゃうことは多いかも知れませんねぇ。
言葉の厳密さにそれほど神経使ってませんからねぇ。定型は。
初対面で意気投合した相手を「兄弟」とか言っちゃうし。
>
>3.世間話では、考えや感じたことを言う必要はない
>
>「あのお店行った」「〇〇買った」「××した」というレベルで会話してる。
>「おいしい」「まずい」「暑い」「寒い」といった話題も無難で可?
>誰も、「私はこう思う」「こういう風に感じる」とか語らない。
>てか、そういう話は煙たがられる? 私にとってはどうでもいい(失礼)と
>思える会話で、みなさん長時間盛り上がるのがなんとも不可思議でした。
そーなんですよ。この手の会話、女性に多いですよね。
「昨日の晩ご飯、炒飯にした」とか言われても、面白くもなんともない。
まぁ「アーそうですか」とつまんなそうに返事するとカドが立つので、
「へぇ。お宅の炒飯って具材は何入れるの? うちはチクワなんかも入れるのよ」
とか話題を膨らませる努力はしてるんですけどね。(内心退屈)
>
>なんかね。親類つき合いとかはとりあえず義務を果たせてよかったけど、
>久々にすごく違和感とか孤独を感じました。
>こういう社交的な会話って、やはり私には鬼門だなぁ。
私個人も、テーマや目的の無い会話は退屈で、くだらないと感じていました。
それこそ違和感&孤独&き窮屈でしたわ。
でも、諦めて諦めて、頑張って頑張って・・慣れました。(はぁ・・)
この・・・意味の無い相手主体の会話って、人生の修行ですね。
定型者もため息をついてしまう、たまの親戚の集まりの場面・・。
ですから、めぇめぇさんの肩もみたいような共感を覚えます。
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