アスペルガーの館の掲示板

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[#32289] 今までの思い はるかママ 09/11/11(水) 12:36 [未読]

[#32356] Re:今までの思い はるかママ 09/11/20(金) 14:40 [未読]
[#32368] Re:今までの思い ヒゲ達磨 09/11/20(金) 23:43 [未読]
[#32402] Re:今までの思い はるかママ 09/11/25(水) 11:36 [未読]

[#32356] Re:今までの思い
 はるかママ  - 09/11/20(金) 14:40 -

引用なし
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   ヒゲ達磨さん
はじめまして、こんにちは。
レスありがとうございます。

小6の長男はまだ診断等はありませんが、こちらに悩みを投稿させていただいています。
いろいろなご意見をいただき参考にさせていただいています。

>6年生のご長男さんには、タイムさんの>心の中では特に母親の元気がなくなる事が一番気がかりでした<といった心根を感じられますか?

正直・・・感じられないかもしれません。

>こういった長男さん「はるかママさんへの気遣い」と長男さんのその時の欲求「本屋へ行きたい」を、彼の中で天秤にかけさせて、どちらを優先するのか決めさせるとか、タイムさんのいう>お子さんは「本がほしかった」のか「本屋に行きたかった」のか<といった彼への投げ返しが必要なのではないでしょうか。

これに関しては、タイムさんにも返信していますが、「本がほしかった」のです。
あの子とはかなり話し合い?(実は言い合いなんです)をしますので・・・。
ただ、この今までの「話し合い」が、あの子には伝わりにくかったのではと思っています。


>はるかママさんの「本屋へ行きたい」への返答を見ますと、ただそれだけを材料に見ますと、ご長男の「本屋へ行きたい」の背後にある気持ちをはるかママさんが受け止めていることが長男の方に伝わっていないように思います。

そうですね。伝わっていないと思います。それは、私がきちんと理解できていなかったためだと、タイムさんとお話をさせていただいて思いました。

>私が想像するに、私の様に二人の弟さんの面倒を下校してから見ているならお母さんに甘えたい気持ち、大事にされたい気持ちが生じて、それが背後にあって「本屋へ行きたい」とか「自転車のパンク修理をしてきて」という欲求、大事にされていることの証が欲しい言葉、欲求かもしれません。

下二人は学童保育に行っています。小6の子は、私たちが帰って来るまで友だちと遊んでいたり、ひとりだったりとまちまちですが、寂しさはあると思います。友人関係も良好とは言えないと思います。小5の時は不登校にもなりましたし、学校がストレスになっていた時もあったと思います。


>そうした長男の方の気持ちを、はるかママさんが受け止めている、注目していることが書き込みには言葉として顕れていません。はるかママさんは、大概の定型の方のように表情や声音といった非言語系でその点を発信されていると思いますが、それではASには伝わりません。まず、言葉です。横から見ていますと、定型の方は表情や声音といった非言語系で受発信の比重が高いと思いますが、ASに対してはまず言葉、それに表情や声音を添える感じの方が上手く伝わると思います。

「本屋の件」は子供の発言に対しての質問だったので、詳しく書き込みもしていませんでしたが、私自身がまだあの子の特徴を理解していなくて、模索中なんです。
言葉にするというのは必要だと思います。最近は特に私の気持ちを具体的に言葉にするように心掛けてはいます。


>はるかママさんが、ご長男の気持ちが分からなければ、それこそ、彼の気持ちを尋ねてはいかがですか?

よく彼は「わからない」と答えます。
不登校だった時も、「学校行く?お休みする?」の答えが「わからない」でした。
あの頃は私も必死でしたので、深く考える余裕もありませんでしたが、今振り返ってみて思うことは、あの子自身もホントにわからなかったのだろうなと私は思うのですが・・・。


>>必要だったのは、今から振り返るととことん話を聞いてくれる存在<とタイムさんは、書き込まれていますが、ご長男も同じではないでしょうか?彼の気持ちを尋ねることは、まさに、彼の話を聞こうという姿勢を示すことです。それは1.彼に自分の中の幾つかの気持ち、欲求の自覚を促すことでもあります。
>
>その上で、彼の気持ちを十分に受け止めた上で、はるかママさんの、長男さんの「欲求はかなえてあげたいが、二人の弟さんのこともあるから、疲れるので、嫌だ」という気持ち伝えてはいかがでしょうか?肝心なのは、欲求をかなえて上げられない理由ではなく、気持ちを言葉で伝えることだと思います。
>
>理由には反論できますが、気持ちは受け止めるしかありません。ご長男は、自分の気持ちをはるかママに受け止められた上で、叶えてあげたいというママの気持ちと、疲れるので嫌だという気持ちを受け止めるしかありません。それは、2.自分の本屋へ行きたいに籠められた気持ちとママを疲れさせ、元気をなくすことへの自分の気持ちなどの、それらのうちどれを優先するのかという気持ちの出し入れ、自己決定、をして、3.それに従って、その欲求を実現するために他者との関わりながらどんな行動を取るかということを促すことになると思います。
>
>
>彼のその時の欲求「本屋へ行きたい」を適えることだけが親としての務めでしょうか?それが出来るときと、出来ないときがあります。
>>必要だったのは、今から振り返るととことん話を聞いてくれる存在<であることの方が、そう言う存在でありたいという姿勢を示すことが、もっと重要ではないでしょうか。定型の方は非言語系のやり取りでの共感、情緒的共感での一体感で、この自己承認欲求、他者から自己を肯定的に認められたい欲求が満たされるようですが、ASは非言語系のやり取りは不得手ですから、言葉による、つまりととことん話を聞いてもらうこと、少なくともそういう姿勢で短時間でも向き合ってもらうことで満たされるのだと感じています。
>
>「何で?」は、理由を尋ねるだけでなくて「何で(私の気持ちをわかろうとしないの、聞いてくれないの)?」というのも含まれていると思います。


ASと言ってもいろんなパターンがあると思いますが、気持ちの受け止めを要求の受け止めというふうにはとらえないものなのでしょうか。
私は、言葉だからこそ難しいなと感じているんです。どうでしょうか?
「何で?」には、確かに「私の気持ちをわかろうとしないの、聞いてくれないの」が含まれていると思いますよ・・・。


上手く説明できていないかもしれませんが・・・。

[#32368] Re:今までの思い
 ヒゲ達磨  - 09/11/20(金) 23:43 -

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   1 >気持ちの受け止めを要求の受け止めというふうにはとらえないものなのでしょうか。

気持ちの受け止めは要求の受け止めとはるかママさんがご長男さんに受け取って欲しいのだと思いますが、そのためには幾つかのステップを踏まなければ到達しないと思います。

はるかママさんもお気づきのように、ASは内と外での態度が違います。内での態度は、乳幼児のままです。乳幼児は泣けば、養護者(母親)がお乳かオムツかと心遣いして、欲求を満たしてくれます。積極的に訴えたり、伝えることはしなくても、乳幼児から見れば養護者(母親)が勝手に、自動的に欲求を満たしてくれる、そんな風に見ているところがあります。>あの子から「それでも親か」と言われたこともあります。親なら子供の言うことを聞いてくれるものだと言う意味だと思う<、>親をスーパーマンだと思っていたし、自分にとって便利に利用する道具のように認識してた<ということです。

これは、非現実的です。>完璧な母親かと言われれば、そんな自信もなく<のは当たり前です。
また、将来、家庭を持った場、長男さんが結婚された場合、配偶者(妻)に同様な態度、妻は夫(自分)の要求を全部実現するスーパーウーマンのようにみる態度を取ります。妻から見れば、夫にとって便利に利用できる道具のように扱われていると感じます。それで、いずれ破綻します、私のように。

ですから、乳幼児の段階から次の段階、他者には心、独自の心、感情があることを長男さんに発見させるステップが必要です。

人が感情を学ぶ、知るのは、
『悲しさやうれしさといった感情を表す言葉はさらに学習が難しいと言える。コフートは幼児が「うれしい」という感情をどのように分化(未分化な“快”と感じられている状態が、さまざまな感情として感じられるようになること)させるのかについて説明している。これは言わば、うれしい、という言葉の意味をどうやって知るか、とほとんど同じことである。コフートは以下のような状景を挙げて説明している。夢中で身体を動かして遊んでいる子どもが母親に向かって、「ママ、見て!」と笑顔でよぶ。母親は子どもの表情を彼自身に返してやる「鏡」となる。子どもと同じように笑顔になり、彼に関心をむけ、子どもの名前をよびながら、「うれしいね、00ちゃん」と声をかけてやる。子どもはこのときの自分の動作と、内部におきている情動変化、快の感情、そして母親に映し返してもらった表情(これは自分の顔の表情でもある)、よばれている自分の名前など、多くの感覚表象や気分の状態を“統合した体験”として認知し、それに対応する言葉のラベルとしての「うれしい」を理解する。そのような体験が何度も何度も繰り返され、また他人の観察などの体験も組み合わさって、感情をさす言葉どうしの微妙な違いも学習されていく。「悲しい」や「さびしい」についても事情は同様で、親が共感して子どもに関心を向けつつ適切な状況で言葉を教えることによって、未分化な不快の感情はそれぞれの言葉で表される統合的な体験へと分化していく。』

つまり、はるかママが長男さんの彼の気持ちを尋ねる行為・態度で、他者から関心を持たれるものとしての彼自身の心を自覚すると思います。1.彼に自分の中の幾つかの気持ち、欲求の自覚を促す、ことです。ママさんの態度が「鏡」として働いて、長男さんに他者・はるかママさんの心や気持ち・感情に対する関心を呼び起こす、つまり他者には心、独自の心、感情があることを長男さんに発見させることに繋がると思います。

そして彼自身に心の感情の言語化をさせて、>男の子の中で流行っているシリーズ本があって、その新刊が図書室にはまだ無かったんですが、本屋では発売されていて、うちの子が今日買うから貸してあげると言った<から欲しいとなどと、はるかママさんに伝えさせる。(不登校のように長時間にわたって蓄積されたものは簡単には言語化できないでしょうが・・)

それを受けて「気をひきたかったのね」といった親が共感して子どもに適切な言葉を教えつつ、彼の欲求を満たそうかどうか、弟さんたちの世話の時間などと考え合わせて悩む姿を彼に見せる。結果、彼の欲求が満たされるか、満たされまいが、要求の受け止めには、気持ちの受け止めが伴うこと前段階としてあることを体験します。それが度重なって、ようやく気持ちの受け止めを要求の受け止めというふうにはとらえるようになると思います。

悩む姿を彼に見せるのは、>親も人間だから限界もある<>親は子どもが憎くて要求をのまないわけではない<ということを彼に伝えるとおもいます。小六、思春期の入り口ですから、伝えた方が良いと思います。

2 >私は、言葉だからこそ難しいなと感じているんです。どうでしょうか?

私が言語化に拘るのは、一つはご私のような積極型のASの多くは言語が得意で表情など非言語系は不得手ということがあります。

もう一つは、対人関係でのトラブルの要因である他者の感情・気持ちへの関心、認知の低さは、自己の感情・気持ちへの関心・認知の低さとリンクしている(失感情症)からです。

また抑うつなど2次障害を持つことが多いのですが、「成人における不安神経症の治療でも、未分化な不安、漠然とした不快などは対応がやっかいである。診察を進めてゆき不安の対象がなんであるかを特定できれば(未分化な状態から分化した状態にすることができれば)、症状は消失、もしくはかなり改善する。胃潰瘍や過敏性腸症候群、喘息や不眠症などいわゆる心身症の要素が強い症状に悩む患者さんでは、漠然とした抑うつの状態を訴えることは多いが、自己のおかれた状況について具体的な感情を表現することができない人が少なくない。仕事の上や家庭での人間関係について不満を述べることは多いが、ではどのように自分は感じるのか、について質問すると、うまく答えられないか非常にまわりくどい表現をすることが多い。ストレスの大きい状況にたいして身体が不快さを示しているにもかかわらず、意識はそこからブロックされているかのようで、その身体の示している状態に対応する感情(を表す言葉)が意識にのぼらなくなっている。」

まとまりがなくて、分かりにくくてスミマセン。

[#32402] Re:今までの思い
 はるかママ  - 09/11/25(水) 11:36 -

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   細かくありがとうございます。
お返事が大変遅くなりました。
体調が優れず、今は寝込むことが多くなってしまいました。
こちらも気にはなっていましたが、すみません。

また、落ち着いたら書き込みたいと思います。

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