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三柴さん、はじめまして
六華と申します。
主治医に発達障害の可能性を指摘されている女性です。
私自身は「AS当時者はこういう特徴がある」といった表現も、あり得るものだと思います。
なぜなら、三つ組みの障害を持つ以上、それは主観的な判断に基づくものではなく、客観的な事実であるからです。
そうした特性の違いがなければ、定型と何ら変わりはなく、発達障害も存在しません。
また、特性の違いがあるがゆえに、世間に発達障害への理解や支援を求める声も生まれます。
それでも、人をカテゴライズした言い方は、時に人を傷つけ、トラブルのもとになります。
私が考えるのは、次のような場合です。
1.相手の過剰反応
相手を激化させないよう、スルーのスキルを身につけることが大切。
2.安易な一般化
他の方の説明にもありますが、
自分の知る例で「ASとはなんぞや」を語る、
個人の問題の範疇までも障害にこじつける、といった場合。
3.自分を棚上げにすること
「自分は他の無自覚な当時者とは違う」というニュアンスを含んだ、他者を断罪するケース。
言動の不一致は、障害の有無に関わらず嫌われます。
>「私はこういう特徴があるから気をつけよう」という言い方をしてしまうと、本当は「AS の人の特徴だから」という意味を込めて書いても「私だけの特徴」ということにされてしまい、気が付いてもらえないことが多々あります。「自分も気をつけよう」という発想が湧かない当事者も多いと感じてます。
>「だから何だ?自分で気をつければいいじゃないか。人のことなど関係ない」
>という意見もあるかもしれません。
申し訳ないのですが、私も「自分で気をつければいい」と考えてしまいます。
三柴さんが「他のAS当時者に気づいてもらえない」と感じられるのは、なぜでしょう?
サイト運営によって、他の当時者に呼び掛けたいという思いをお持ちなのでしょうか。
もとよりインターネットというのは、いろいろな方が利用しているものであって、自分と違う意見に出会う方が多いです。
サイト運営にしても、共感が得られたら「めっけもの」くらいの気持ちで構えられた方がいいと思います。
荒らしのようなコメントがついたときは、受け流すスキルを身につけられることも大切でしょう。
反論への反論を繰り返すと、ますます相手を激化させます。
「自分の考えに納得してもらうこと」に固執するのは、それもまた、「AS同士の慰め合い」とさして変わらない、共感を求める行為です。
(※実際のやり取りを見ていないので、「三柴さんがそうだ」と言っているのではありません。一般的な話として、です)
そうして自分にできることを自分で頑張ってさえいれば、見ている人のなかには、三柴さんの努力に気づいてくれる人も自然に現れると思いますよ。
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