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▼手毬さん:
こんばんは。レスポンスありがとうございます。
>本当にそう思います。気を使う、気を使わなくても、と言われると、どこまで気分を害しているのか、気分は普通の上での社交辞令なのか、区別が難しいです。
どうも会話上すっきりと成立していない、といいますか、お互いにあまり気持ちの良くない状態に陥るときがやっぱりあるな、と感じます。
>考えすぎていて、疑心暗鬼に陥ります。本当に考えたくないです。自分の場合、保育園の職員とは、挨拶はしっかりしよう、他の保護者のように巧みに会話しないでいいと割り切るしかないかという感じです。
最近感じることが多いのですが、どうも立場やその時の状態、利害関係などを加味して、会話の内容が大幅に変わるようです。
相手によって言うことが異なる、とかは極自然のことで、感情によっても変わるし、駆け引きをしているような部分、会話を楽しむために意図を持って方向性を決めたり、まあ難しいことをそれこそ適当にやってる方を観ると、凄いな、ああ無理だなと思ってしまいます。
私は元々スペックが小さいので、深読みしてしまうともう泥沼状態になるので、額面どおりに受け取ることにしています。
>目安としての線引きをして考えています。
なるほどです。
>その通りです。福祉の職員や関係者、ボランティアの感覚はそんな感じですし、悪く取ればきりがない感じですね。
なまじ知識のある方が多いでしょうから、中にはう”っと思ってしまう方にも出くわしますが、私が生きていくことに何かしら協力して下さる方に対しては基本的には感謝の姿勢を示すように心がけたいな、と思っています。
>私の経験を申しますと、先方も気を使っているのは伝わってくるのですが、先方に伝えるのは難しいし、困難点を言えば、クレーマーと誤解されないか?メモを片手に相談に臨んでも、愚痴と思われるのか、先方も話そうとするセオリーがあるようで、なかなかこちらの困難を伝えることが難しい。特に福祉関係の公的機関での相談は、なかなか話がつながらずに、愚痴の誘導尋問や、方向の違う、お説教に巻き込まれて、肝心の質問には、しつこく念を押さないかぎり、答えが出ずにスルーされたりして、疲れることが多いです。今のところは、期待しないで仕方がないと諦めるしかないですね。
伝えたいこと、聞きたいこと、知りたいことを巧く言い表せないと言いますか、時としてはぐらかされているような、それこそ齟齬という形になると喋っているだけで疲れてしまいますね。
私自身も含めてなのですが、自分の頭の中で勝手に描いている固定観念と、職業人としての業務遂行に対するある種の勝手な方向性と、感情などの付加しなくてもいい情報の混ぜ合わせと、会話という双方向性を無視した一方通行的やりとりなどが、随分とエネルギーを消耗する点なのかなあ、と思ったりします。
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