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▼ことりさん:
こんにちは。返信を有難う御座います。
>>1.記憶についてです。
>>
>>記憶について、ある大学の先生が「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。ところが自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」と自閉症の人の記憶について書かれているようなのですが、ここの「私たちの記憶は普通、言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」と言う意味が私には理解できないのですが、ことりさんならどのように解釈されるでしょうか?
>私のアイコンには基本的に画像はついていないし、色分けもしていないので
>私はもっぱらタイトルで内容を識別・分類しています。
>これが「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています。」という状態。
この場合に、その「タイトル」自体も「映像として」頭の中で浮かび上がると言う事ではないのでしょうか?それとも・・「タイトルで内容を識別・分類」されていると言う事は・・例えば、エクセルファイルが20個並んでいた場合には、そのタイトルを見なければ内容が分からないと言う意味なのですかね?⇒「言葉によって意味が付けられ、分類されて、しまわれています」 だとすると・・・「私たちの記憶は普通〜」の「記憶」ではなくて、分類方法の一つとしてのお話と解釈できないですかね?・・・・難しいですね。
>そして、jpgファイルやエクスプローラの「お気に入りファイル」には、その内容に関する画像がアイコンとして表示される事がありますよね。 「自閉症の記憶の相当部分は、言葉を介せず、たぶん映像のままで、脳の異なったところにしまわれているのです。」というのは、アイコンのところに中身の画像がついている状態なのかなと想像しました。
なるほど。こちらは納得できますね。
>>2.個性と障害についてです。
>自分が「障害者」と呼ばれる立場になるとは想像もしていませんでしたが、実際になってみましたら、たいして何も変わりません(医療費の負担は軽くなりましたが)。 仕事にも行くし。ご飯も食べるし。遊びにも行くし、喜怒哀楽もあるし・・・周囲にも「私は障害者自立支援手帳を持っています」と、言わなければ分からない事でしょう。
>でも、周囲にそれを言うと、ちょっとした斜め目線でみられたりしますね。
この斜め目線も、大きな問題ですよね。
>「こいつが、変わっているのは障害者なんだから」「こいつが、こういう事ができないのは障害者なんだから仕方ない」ってな感じで。手帳の申請を出す前と後で、私は何も変わっていないのですが、周囲の目や行政的なくくりで考えると違うのでしょうね。 これが「個性と障害は紙一重」と私が思う一つの根拠です。
はい。理解できます。
>おっと、話がずれてしまいましたが、私にとって「障害と個性」とは、同じ状況でも本人や周囲がそれで苦労したり、辛い思いをするのなら「障害」で、前向きに捕らえられるなら「個性」でしょうか。
なるほどですね。おっしゃる事はよく理解できます。
私の場合は、全てのベースが「その個の特性」=「個性」と、私の中ではこのような認識ですので、全ての人の基本が「個性」で、ASもその個性の中の一つと解釈しています。そして「障害」なのですが、これが私の中でまだ定義?として固まっていません。強いて表現するのであれば「その個の精神状態により、社会参加に支障をきたす事」あたりでしょうか(これは精神的なものになるのかな?)ASの定義も三つ組みとか言われているようですが、はっきりとした識別方法は無いのではないでしょうかね?よく分かりませんが。。そしてこの「障害」も私の場合は「個性」の中に入ります。個性と障害を同じ次元に置くのではなくて「障害も個性に含まれる」と言う認識でいます。
例えると、「果物」の種類の中に「りんご」が含まれるような認識です。
「果物=個性」「りんご=障害」
>完璧な人間など居ないわけですから、一つの才能を得るためには、他の何かをあきらめなくてはならない事もあると思います(例:世界中を飛び回って公演活動を行うピアニストであるためには、夜勤の多いハードな外科医であることはあきらめなくてはならない。)。
>
>そして、どちらかを選ばなくてはならないという点において、(上の1の質問とかぶりますが)「言葉による分類と画像による分類の両方の分類法を持つ事は、人の脳のキャパシティーから考えて無理」と仮定すると、「言葉による分類」を持つ人と「画像による分類」を持つ人の2種類の人がいるのではないかと思います。
なるほどです。
そしてその仮定を少し崩して考えてみると、実際には、境目の無い状態で存在しているのかも知れませんね。それが自閉症スペクトラムと表現されているものなのですかね。。
>「言葉による分類」を得た人は「画像による分類」を手放し、「画像による分類」を得た人は「言葉による分類」を手放した。
>その時に、「画像による分類」を得て、それを活かせるなら個性。 「言葉による分類」を得られなかった事をなげくなら障害になると言った印象です。
太古の人類は全て「画像による分類」であり、文明の進化と共に「文字」が生み出され、やがてそれがパピルスに記録されだした。そのあたりから人類が「記憶」と言う意味での「画像記憶型」から「言語(文字)記憶型」が生まれだし、やがて言語(文字)記憶型が主流になってきた。。。それが現代。なんて妄想を楽しんだりしています。
>とりとめのない内容となりましたが、いかがでしょう? 多少なりとも何かのご参考になりますでしょうか?
まとめる能力が無く、いつも長文ですみません。大変参考になりました。有難う御座います。
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