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▼ちゃっぴ〜さん:
はじめまして、初老の男性ASです。
私感ですが、
ASなど発達障害を持つ人を、非難するウザイ感じる人には、「こうあるべき」「◎◎するべき」という判断パターンを持っている人が多いと思います。
ASの精神年齢は、実年齢の7掛けという方もいますが、実際、ある場面では、その実年齢、勤務年数などの経歴に合った判断、言動、行動をとるのに、別の場面(特に対人関係)の場面では、その実年齢などには相応しくないことをする事が多いと思います。傍目八目的に言えば、子供っぽいなーと感じる言動です。私も気付きませんが、後で思い返すと”冷汗タラリ”も多々あります。
ですから30代の男性なら「こうあるべき」「◎◎するべき」という判断パターンを持っている人からみると、ASはあるところは合格、あるところは不合格となり、苛々されるようで、発達障害を持つ人に拒絶的です。知的障害者のように全体に全般的に子供っぽい人は、最初は戸惑うようですが、凸凹がないだけに、慣れてしまうと、30代だけど子供だとなると苛々はしないようです。(これは、これで、何時までも子供=自己決定権なしと見做す事なので問題ですけどね。)
逆に、「それも有りだね」「貴方はそうなの」といった受け入れ間口の広い方は、最初戸惑いがありトラブルもありますが、慣れてしまうと、適度に距離を置いて、付き合える、受け入れられるようです。
>長男としてとか兄としてとかおじとして◎◎であるべき<というのは、前者のような人を心の中に棲まわせるようなものですから、自分で自分自身にイラつくのは、ある意味当然ですよね? その結果、落ち込んだり、意欲をなくして、鬱的になりやすいと自覚しています。
そして、自分自身に「こうあるべき」「◎◎するべき」という態度は、往々にして他者にも同様で、「母親としては、こうあるべき」とか「子供なら◎◎するべき」という接し方をする。これは、ネーブルさんが書き込まれたようにトラブルを招きますね。
で、定型発達の「こうあるべき」「◎◎するべき」という人は深刻なトラブルを招かないのに、「こうあるべき」「◎◎するべき」のASはまねいてしまうのか?・・これへの私の考えは>これもASの特徴なのか、皆さんはどう思いますか?<への考えと重なりますけど、貴方はどうお考えです?
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