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for ちゃっぴ〜さん:
あくまでも、書籍とかは一般的と考えられる平均値で
その、”一般的”自身が基準があやふやです。
(平均的な人間の1個体を連れて来ことができないでしょ 笑)
筆者の経験のみの場合もあるし、公的統計を基準にした場合もある
また、意図的に特定の思想や信条で都合のよいデータのみを
使う事もありえます。
(深読みすると、販売上の理由とかから、一般受けするようにしているとか
スポンサー優位に仕向けるとかも有ります。)
「こうあるべき」と言うと強い断定型なので(微妙には違う;後述)、
証明や検証が困難な心の問題や嗜好の問題や概念の時には
相手に異様な印象を与える場合があります。
定形の人は、TPOをみて使い分けているようですが
AS特性がある場合には、TPOが判らないor判りにくいので
つい使ってしまうのだと思います。
本来の形は「べし」推量の助動詞
作用的意味を持つので、相手に強制する意図を感じさせるようです。
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/5/02.pdf
まあ、圧倒的な権力を持つ状態であれは、「べき」は
多用されています。
たとえば学校とかで、「我が校の生徒は、勤勉であるべき」とか
本質的な解決でなく、小賢しい、レトリックですが
断定的な言葉を使わないように、心がけてみたては如何でしょうか?
(↑のような、”危機回避”マニュアルを皆で作りませんか?)
〜べきもそうですが
絶対、完全、最高とかも (まあ、科学分野は別ですが)
○○であるべき → ○○と思う、○○の様に感じる とか
まあ、頼りなげに聞こえるので、相手を説得する場合には
弱くなりますが、その時は事例を列挙するとか、エビデンス付けるとか
証明可能であれば、”無機的(数学のように)”証明するとかで
補えば良いと思います。
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