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▼nonnoさん:
返信ありがとうございます。
>運転は運転者の責任となるもので、同乗者は飽くまでも「協力」の域に留まるものだと思います。(教習所では教官が初心者に分かりやすくするために早めに指示を出して車を移動させていますが、これは本来「運転」ではありません。)
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>目的地までの距離・道順・渋滞等を考えた上での時間の計算等、本来運転者が充分に確認するよう、学科教習の時に言われてるのではないでしょうか。
>もし、何かあったときに責任を問われるのは運転者であって同乗者ではないことは確かです。そのときにアスペルガーなど障害で云々という理由は通用しないばかりか、これまで充分に注意をして運転してきた同様の障害者の立場まで脅かしたり誤解を招くことにもなりかねません。
>
>理解のないお父様の指示の出し方に注文をつけたり不満を持つ前に、御自分の運転のスタイルを確立させるために、指示を待つのでなく最低限は道順を事前に確認してほしいと思います。厳しいことを言うようですが、それが社会の責任であり(他のことは別として)車を運転する人の問われる責任です。
>
おっしゃることは、よくわかります。
車の運転に関しては、おおむね、nonnoさんと同じ意見を私も持っています。
あまり長く書くと、読む人に申し訳ないと思って割愛しましたが、我が家の、特に私の運転事情について、述べさせてください。
まず、私はずっと、父に運転免許をとることを反対されてきました。
理由は私に普段から注意力がなく、運転に向いていないことを心配されていたからです。危ないから、という親としては当たり前の感情で止められていました。
それ以前に、私の両親はどことなく私に対して過保護であるようでした。
よくそのことを、母の妹である叔母から指摘されています。
家にお金がないと言うこともありまして、私が運転免許をとることはまずないだろうと思いました。
社会人になってから自分でとろうと考えたこともありましたが、会社に通いながら予算内に免許をとれるなど、とうてい考えられませんでした。
それで今回、運転免許をとれることになったのは、障害者用の特別コースがあったからなのです。
私は生まれつき足が悪いため、障害者手帳を所持しています。
国から補助金が出て、障害者が3ヶ月の講習で免許をとれる制度があることを知り、受講することになりました。
破綻していた私の会社生活も、これを機会に退社しました。
自分がアスペルガーだと知らなかったころですが、すでに会社では私の問題行動が目をつけられていて、更に異動でキツイ上司に当たり、針のむしろだったのです。
精神的にも情緒不安定になり、泣いたりわめいたりが今まで以上に激しかったのですが、両親にはその違いがわかってもらえませんでした。
3ヶ月間、月曜以外、毎日朝8時から夜7時まで、授業があれば毎時間講義を受け、
技能は一日最低1時間、うまく調整できれば2時間目3時間目も受けることができます。
私が一番不安だったのは、反復練習でした。1時間の受講に何千円もかかるのでは、飲み込みの遅い私には、相当に金銭的な負担があると思い、免許取得をあきらめていたのですが。
この講習のおかげでじっくりと取り組むことができ、自分と向き合って運転することができました。
同期のメンバーの中では、3、4番目ぐらいの成績で卒業することができました。
思ったより、自分が運転に向いていたんだなと思えたことが本当に嬉しかったです。
また、自分のように身体や脳に障害を抱えている人と接することができて、自分のままでいいんだと、やっと思うことができました。
健常者の中で、異端者だった自分が受け入れられた気がする場所でした。
このときが、私にとって人生の転機となった気がします。
精神的な落ち着きを得ることができました。
免許をとり、その後、アスペルガーについての病院に行きました。
障害を受け入れてもらえる会社に入社し、今とても安定していますが、新たな不安は両親のことです。
自分がASであることがわかり、本や体験談などで、AS(もしくは私)にとって苦痛なことを片っ端からあげて、両親に説明したりしていますが、具体的な話になるとなかなか納得してくれません。
免許とりたてであることも考え、私が運転するときには、必ず父が同乗します。逆に言えば、父がいないと運転できないことになります。
これは仕方がないことなので、父の言い分もわかります。車は一台しかないし、仕事用でもあるので、万が一のことを考えるとそうせざるを得ないのでしょう。
私が運転できるのは、父が付き添える日、父の休日の夜、私が仕事から帰ってからです。
たいてい目的のないドライブになるのですが、これも困り物です。
子どものころからそうでしたが、父は目的地をいつも言いません。どこに行くのと聞いても、つけばわかる、の一点張りです。泣くと余計に教えてくれようとしません。
旅行に行っても、旅館の場所以外は、行き当たりばったりです。着けばわかるでしょうが、それでは私の不安は治まりませんでした。今では大分慣れましたが。肝心なことも、自分だけが知っていればいいという態度には母共々閉口しています、
父は思い立ったらすぐ行動する人で、「行くぞ」と言われたら、出発前に地図を見る間もありません。
下手するとドライブが取りやめになったり、父が運転することになったり、最悪の想像をすると置いていかれかねません。
更に、ドライブの時は、私の見知らぬ土地に行かされます。私は、地元の教習所での実習しなれた道を中心に回りたいのですが、父は、「知ってる道を走ったら練習にならない」と言うのです。
それならせめて、地図を見て、目的地まで自分で判断して行きたい、と言うと、「初めて行く土地を一人で行けるわけがないだろう。地図を見ながらいちいち道端で車を止めるのか」と言い、それが、私の意見とはピントが外れているような気がしてなりません。
技能を上達するには知らない道を行くのがいいのでしょうが、根本的な部分は養われていかないような気がするのです。
毎回違う道を行くので覚えようがないし、私の運転技能に関しては父も認めてくれています。この目的のないドライブにいったい、何の意味があるのでしょう。
教習所で渡された地元の地図には、私の知らない道路や行ったことのない方面があり、この道はこっちにつながっているのか、という発見があり、どちらかというと
地元を中心に世界を広げていったほうが、nonnoさんのおっしゃるような、本当に運転に必要な技術が養われるのではないでしょうか。
しかし、現時点では、父にどう言えばわかってもらえるのか自信がありません。
あと困っているのは、運転中の音楽です。
父の趣味が私に合わないのと、気が散るので音量を抑えて欲しいのですが、一向にいうことを聞いてくれません。
父が運転しているときは、音量のこと以外はおとなしく聞いているのに、私が運転しているとき、父の方は音量を大きくします。大きい音と重厚な音質で聞くのが好きなようです。
気が散るし、好きな曲でもないので、雑音とまではいかないけど、余計な音にしか聞こえないのです。私は自分の好きな曲でも、なるべく聞こえるか聞こえないかの音量にしているのに。
私の方は耳が悪く補聴器もしているので、私が聞こえない音でも、父には聞こえているはずなんですが。
運転中に音量をめぐってケンカになります。耳障りなので音量を下げようとすると父が元に戻し、なおかつ前より音量をあげてくる始末で、まるで子どものけんかです。
二人とも同レベルなので救いがないですね。
それで、「前を見て運転しろっ」と怒鳴られますが(当たり前ですけどね)、それよりも音の方が神経に障って、落ち着きません。誰のせいだと言いたいのですが。
この父を本当にどうにかしたいです。
>車の運転が社会人としての成熟度の高さが要求されるのは、危険と隣合わせだからです。そのことを再認識した上でハンドルを握って下さい。
肝に銘じ、良いドライバーになりたいと思います。
ありがとうございました。
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