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▼ちゃっぴ〜さん:
>うーん、ケースバイケースなんじゃないでしょうか。B子さんの魅力がそれだけ
>あるということなんじゃないでしょうか。
>酒井法子の麻薬事件で、お国柄この手の犯罪にものすごく厳しい中国が、
>ノリピーに対してだけは寛容なムードだという報道を思い出しました。
そういうことです。
B子さんが冗談めいて言ったことにASの友人がいかにも愉快そうに笑ったので、他の人も同じ事を言ったら激怒されました。
「B子さんなら何を言っても良いんだ」・・・こういうひいきのような対応をされると、B子さんと周囲の関係もギクシャクしてしまいます。
結局B子さんだけがASの友人に気に入られ取り込まれたような形になり、結果B子さんが孤独になりました。
>好き嫌いに対しては、私も思い当たる節があります。中学時代、今まで
>普通に接していた友人に殴られ前歯1本を折られた事があるんですが、
>その日以来口が聞けません。その親が花を持ってきて「でも子供同士のけんか
>だから」などいい訳を親にしたみたいですが、私には納得が行かず、さりとて
>その気持ちを伝える手段が分からないんです。そうすると、自分の定石に
>従って行動するしかなく柔軟な考えとか出来ませんね。
暴力をふるわれた相手と、その日以来口がきけなくなったというのは理解できます。本人が一生懸命謝るのならともかく、親が出て来て言い訳がましく謝罪されても納得も安堵にも至りませんよね。
今回は、暴力をふるう相手により許せたり、許せなかったりということがありますか?・・という質問です。Aさんに暴力をふるわれて怒ったのにBさんに同じ暴力をふるわれて「いいんだ。僕が悪いんだ」と言うと、Aさんは「不公平だ」と感じます。
もちろん、好きな相手と嫌いな相手では、同じ事をされても感情は違いますが、私の友人や職場のASの人は「嫌いな人が良い行為、正しい発言」をしても嫌悪するので、「あいつは嫌いだが、言ってる事は正しい」とか「苦手な人だけど、今回は良い行いをしたよね」という許容が見られないのです。
その人の印象で是非を決めつけてしまう・・・というか。
1人の人に悪い面も良い面もあるということが柔軟に理解できないのかなと、思っていました。
しかし・・・どうやら、そういう決めつけをしないASの方も大勢いらっしゃるようですね。
私の認識不足のようでした。
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