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めえめえさん御返信有難う御座います。
>なお、起訴されたケースの有罪判決率が高いことは、
>それ自体だけでは冤罪の可能性が高いことを示しません。
確かにそうですね。物事は複数の原因が重なって起こっているのですから、有罪判決率という数値だけの側面から物事の意味や内容を断定する事は出来ません。危うく大きな誤りを犯す処でした。ご指摘ありがとう御座います。
>むしろ問題にするなら、自白のみに基づき、客観的証拠の調査が
>手薄になりがちな、取調べから起訴の流れではないかと思います。
>現在、取調べの透明化を求める声が高まってますね。
>そうして、自白のみを重視しないで、客観的証拠の調査に重点が
>置かれるようになると、誤解や心理的操作、圧迫的な取調べに
>よる冤罪は、未然に防げる可能性も高いと期待したいです。
日本の裁判員の特色はそのほとんどが理系的な訓練をしていない(大部分が文系あがりです)がために検察側のあげる調書にたいして盲点を持っています。従って、(冤罪問題への世間の関心の高まりという背景ももちろんありますが)昨今の客観的証拠の調査に重点をおいた裁判のあり方の見直しという世論要求は必然的なものだったのだのかもしれません。
>もう一つは、たとえ取調べを透明化しても、定型発達者の常識的
>判断からするとなかなか理解してもらえない、
>発達障がい者の言動パターンへの理解です。
>これについては、たとえば知的障がい者の取調べや裁判とも
>共通点がありますね。
>ネーブルさんがおっしゃるように、見かけだけではわかりにくいので、
>定型発達者並みの判断力や集中力、自己防衛能力を期待されてしまうと、
>言動が理解しにくい=怪しいと疑いが深まったり、=与しやすいと
>利用されがちなことが多いと思います。
>先にご紹介した人も、「こうこう言ったよね」と矢継ぎ早に質問されて
>言質を取られたり、同じ内容を何度も文言を変えて質問されて
>揺さぶりをかけられ、パニックに陥ったそうです。
>そうして、混乱したり、拘束されること(取調べ)自体が苦痛になり、
>自ら権利を放棄してしまう可能性もあるわけです。
>やはり、定型発達者よりも特別な配慮が必要と思いますが、
>いかがでしょうか。
この件に関して特に依存はありません。目の悪い人が眼鏡をかけたり、足の悪い人が車椅子に乗るように、発達障害者への特別な配慮という補助措置は私自身当然あっていいと思うし、誰もが人間らしい生活を送る権利を有するという理念の観点からしても、当然なくてはならないものだと思うからです。ただ、知的障害者という話がでたので若干の補足をすると、そこで問題はより一層複雑なのです。というのも、受刑者全体のうち三割が知的障害者で占められているという事なのですが、これは特別な配慮の欠如ゆえの自白の強制や冤罪問題の過多を表してというよりも、むしろ社会の中に自分の居場所がなく、経済的な自立もできなければ社会的なサービスも受けられない、そこでなんとか自分の命を明日に繋ぐ方法論としてやむなく刑務所の中での法的なサービスを受けるしかなくなった人達が先述の「受刑者全体のうち三割」という実態を作り上げているのです。刑期を終えても社会の中に自分の居場所がなければまたやむなく法的なサービスを受けるしかなくなります。彼等においては裁判や取調べにおける特別な配慮だけがあっても何にもなりません。また取り調べの場所に戻って来てしまうからです。ですから私自身、障害への理解は無論のこと、その理解に裏打ちされた障害者への特別な配慮という概念は、社会全体が有さなければならない大きな課題だと思うんです。
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