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▼さかなさん:
>まず、私はずっと、父に運転免許をとることを反対されてきました。
>理由は私に普段から注意力がなく、運転に向いていないことを心配されていたからです。危ないから、という親としては当たり前の感情で止められていました。
私のケースもほぼ同じです。さらに私の場合は身体障害も運転免許取得反対の理由でした。
それが間違いであることは、現在の運転免許証がゴールド免許(今年の5月に更新があったが、前回もゴールドだった)であることや、運転開始から9年4ヶ月間人身事故ゼロ(昨年9月に、片側交互通行の工事現場で、相手が誘導員の制止を無視して突っ込んできたために正面衝突し、相手の車の助手席の人がダッシュボードに顔面を打ち付けて鼻血を出した)であることが如実に物語っています。
>それ以前に、私の両親はどことなく私に対して過保護であるようでした。
>よくそのことを、母の妹である叔母から指摘されています。
>家にお金がないと言うこともありまして、私が運転免許をとることはまずないだろうと思いました。
>社会人になってから自分でとろうと考えたこともありましたが、会社に通いながら予算内に免許をとれるなど、とうてい考えられませんでした。
ここで質問ですが、貴方は親の過保護を、親にとっては自分の都合がよいものだと感じたことはありませんか?(誤解であったと後で解ったとしても)
>それで今回、運転免許をとれることになったのは、障害者用の特別コースがあったからなのです。
>私は生まれつき足が悪いため、障害者手帳を所持しています。
>国から補助金が出て、障害者が3ヶ月の講習で免許をとれる制度があることを知り、受講することになりました。
どんな症状なのでしょうか? 差し支えなければ、メールで構いませんので教えていただけないでしょうか?(メールでの秘密厳守は必ず約束いたします)
私の場合は変形性股関節症の末期状態で、日常生活には影響は少ないですが、スポーツは水泳以外全面ドクターストップで、就職もデスクワークでないとできません。
>自分がアスペルガーだと知らなかったころですが、すでに会社では私の問題行動が目をつけられていて、更に異動でキツイ上司に当たり、針のむしろだったのです。
職場での経験も、私と同じですね。
私の場合は、上司のほうが異動してきて針のむしろ状態になったので、その点だけが違います。
>私が一番不安だったのは、反復練習でした。1時間の受講に何千円もかかるのでは、飲み込みの遅い私には、相当に金銭的な負担があると思い、免許取得をあきらめていたのですが。
>この講習のおかげでじっくりと取り組むことができ、自分と向き合って運転することができました。
>同期のメンバーの中では、3、4番目ぐらいの成績で卒業することができました。
>思ったより、自分が運転に向いていたんだなと思えたことが本当に嬉しかったです。
私も、障害者用の特別コースではなく一般向けのAT限定でしたが、案外気楽に免許を取ることができたので、父が存命だったらその場で見返してあげることができたと思います。
もちろん私は障害者手帳(第2種5級)の交付は受けておりますが、車はごく普通の日産キューブ(旧型)で、マニュアルシフトモードの付いたAT車です。障害者向けの改造箇所はなく、洗車(最近サボり気味だが)や夏冬タイヤ交換は全部自分で行っています。
>また、自分のように身体や脳に障害を抱えている人と接することができて、自分のままでいいんだと、やっと思うことができました。
>健常者の中で、異端者だった自分が受け入れられた気がする場所でした。
>このときが、私にとって人生の転機となった気がします。
>精神的な落ち着きを得ることができました。
今まで、障害者は閉鎖的なコミュニティを好む日本人の悪い特質のために肩身の狭い思いを強いられてきました。
もともと、日本人は和を大切にする民族であり、和を大切にすることは我々の誇りでもあります。しかし、この風潮はいつの間にか、異端者を受け入れないというスタイルに変わってしまいました。この異端者の中には、障害者も含まれており、私は小学校〜中学校で9年間毎日いじめの被害に悩まされました。
コミュニティのすべての人間が同じであるということは、和を大切にする本来の特質からはかけ離れたものです。
最近は発達障害などの理解が深まったため、教育の現場でも以前より自閉症児などの受け入れが進むようになりましたが、身体障害については、学習指導要領で体育のレベルが格段に高くなった(これは英数国理社の5教科に比べてもはるかに高くなっている)ために、身障者には以前よりもむしろ敷居が高くなっています。
>免許とりたてであることも考え、私が運転するときには、必ず父が同乗します。逆に言えば、父がいないと運転できないことになります。
>これは仕方がないことなので、父の言い分もわかります。車は一台しかないし、仕事用でもあるので、万が一のことを考えるとそうせざるを得ないのでしょう。
そのうち単独で運転できるように、車に慣れるといいですね。
私の場合は、運転開始の1ヵ月後には単独で全行程252kmのドライブに出て、無事に帰還することができました。
>たいてい目的のないドライブになるのですが、これも困り物です。
>子どものころからそうでしたが、父は目的地をいつも言いません。どこに行くのと聞いても、つけばわかる、の一点張りです。泣くと余計に教えてくれようとしません。
おそらくは試運転のつもりなのでしょうね。でも度胸試しにしてはやり方が間違っていると、私は感じます。行き先不明のミステリーツアーじゃあるまいに…
>旅行に行っても、旅館の場所以外は、行き当たりばったりです。着けばわかるでしょうが、それでは私の不安は治まりませんでした。今では大分慣れましたが。肝心なことも、自分だけが知っていればいいという態度には母共々閉口しています、
>父は思い立ったらすぐ行動する人で、「行くぞ」と言われたら、出発前に地図を見る間もありません。
>下手するとドライブが取りやめになったり、父が運転することになったり、最悪の想像をすると置いていかれかねません。
>
>更に、ドライブの時は、私の見知らぬ土地に行かされます。私は、地元の教習所での実習しなれた道を中心に回りたいのですが、父は、「知ってる道を走ったら練習にならない」と言うのです。
>それならせめて、地図を見て、目的地まで自分で判断して行きたい、と言うと、「初めて行く土地を一人で行けるわけがないだろう。地図を見ながらいちいち道端で車を止めるのか」と言い、それが、私の意見とはピントが外れているような気がしてなりません。
私は文面を拝見して感じたのですが、貴方のお父様もADHDの傾向があるように感じますね。
私は素人なので診断を下せませんが、ADHDの自己診断テストの項目に貴方のお父様の行動の癖を照らし合わせてみたところ、該当する項目が多数ありました。ASについても同様です。
>>>でも今は、このことはお父様には知らせないほうがよろしいでしょう。取り乱して散々な結果になるかもしれません。
>あと困っているのは、運転中の音楽です。
>父の趣味が私に合わないのと、気が散るので音量を抑えて欲しいのですが、一向にいうことを聞いてくれません。
>父が運転しているときは、音量のこと以外はおとなしく聞いているのに、私が運転しているとき、父の方は音量を大きくします。大きい音と重厚な音質で聞くのが好きなようです。
>気が散るし、好きな曲でもないので、雑音とまではいかないけど、余計な音にしか聞こえないのです。私は自分の好きな曲でも、なるべく聞こえるか聞こえないかの音量にしているのに。
>私の方は耳が悪く補聴器もしているので、私が聞こえない音でも、父には聞こえているはずなんですが。
>運転中に音量をめぐってケンカになります。耳障りなので音量を下げようとすると父が元に戻し、なおかつ前より音量をあげてくる始末で、まるで子どものけんかです。
>二人とも同レベルなので救いがないですね。
>それで、「前を見て運転しろっ」と怒鳴られますが(当たり前ですけどね)、それよりも音の方が神経に障って、落ち着きません。誰のせいだと言いたいのですが。
>この父を本当にどうにかしたいです。
>>>重ねて言いますが、これははっきり言っていじめです。
難聴もいじめの理由にしているとしか言いようがありません。私は貴方のお父様の行動に対しての怒りを禁じ得ません。
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