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kororoさん、suteraさん、コメントありがとうございます。
▼suteraさん:
>想像力のなさが、アスペの特徴です。医師のところに行って診断を受けてはいかがですか?
>とんとんさんがアスペとは限らない気がします。
>お忙しいとは思いますが、専門医にかかるのがベストだと思います。
>アスペルガーライフブログは大変ためになります。
>ご自分がアスペなのかもわかるかもしれません。
kororoさんからも指摘されていますが、診断について、抵抗が無いと言ったら
嘘になります。
ただ、診断のための手間と、診断結果の如何によっても、正直なところ、
何も変わらないのでは?という気持ちが大きい気がします。
診断結果がどちらにせよ、私の考え方として、ドライなところや厭世的なところ
は自分でも認めていて、でも周囲の人とどのように関わっていくかについては
状況ごとで自分なりにやっているつもりなので。。
ただ、その「つもり」が不足していると指摘されてしまうと、じゃあそれ以上の
ことに気をつけて生きるのは、多分自分が潰れてしまいかねない、という気持ち
もあり、結局のところ、診断結果によって変わることは小さいことなのかも、
と考えてしまっている部分があるためかもしれません。
▼kororoさん:
>>ちょっとした波でもとても負担に感じられ、
>>滅入ってしまっています。
>
>あー分かります。こういう時ってあります。
>会社の帰りにどこか一人になれるところにでも寄ったらいかがですか?
>私も土日はサービスデーなので平日の午後に「今日は休むぞ!」と決めて休んでいます。
実は私もサービスデーは作っています。
土日というか休日は家族、主には妻と次男のための日になっているし、平日でも出社前と帰宅後は、妻に代わって家事をしています。
私が家事をしている間は、妻はネットサーフィンです。。
ある日などは、朝、私が会社に行こうとすると、ネットサーフィンをしている妻が、「子供(次男)にご飯食べさせた?」と聞いてくるのです。
その日は、会社に行く時間の少し前に次男が起きて、次男は一人でテレビを見ている状態でした。
料理を作る時間も作る能力もないので、ありものを食べさせて会社に行きました。
そんな状況なので、会社にいても家にいても、いわゆる「仕事」があるので、どちらにもいない時間を作っています。
そうでもしないと、息抜きできないですから。。
>>「ああ、こうしておけば波風が立たなかったかも」という後悔が
>>多いです。
>
>これは私とは逆です。
>私はADHDが入っているためか、言わなきゃよかった〜!という失敗が多いので、その後のフォローを考えると人に合わせる方がずっと楽なんです。
>もし奥さんが私のようなタイプなら、とりあえず謝って「**はそう思っていたんだね」くらい言っておけば、もともと合理的なことやつじつま合わせが好きなので、「解ってくれたのにひどい言い方だった。これじゃ五分五分じゃない」という考えが働き、案外あっさり謝ったりします。
うーん、少なくとも妻は、私に「悪いなぁ」と思うことは、もしかしたら
あるかもしれませんが、謝ることはほとんどないです。
私のせいにするか、私が悪くないときは、他に何かのせいにしますので。。
結婚して10年以上経ちますが、妻が私に謝ったことは、3,4回くらいですかね。
私が気分を損ねていることを知っているか知らないかわかりませんが、そんなもんです。
妻は、妻がされたら嫌なことは私に直すように言う割りに、その嫌なことを私にしてきますから。。
>>そうなんですよね、注意していると、人当たりはよいのですが、
>>とても疲れて緊張しますよね。
>
>これはある意味羨ましいです。変なところではみ出るよりは絶対いいですよ。
>何倍も疲れます。
私の場合、はみ出たとしても、はみ出てしまったことをどうこう思う
ことが少ない性格なのかもしれません。
人は人、とか、去るものは追わず、みたいな感じで。
ただ、それだけじゃだめだなと思うので、また、はみ出るほどのことを
することもなくなってきて、周囲に合わせていろいろ注意しながら生きる
ようになってきた感じです。
>素朴な質問なんですが、診断を受けるのはやっぱり抵抗がありますか?
>私は発達障害のことになるとなぜかADHDモードになってしまい、あまり繊細な感情が働きません。体質なんだしアレルギーと同じようなもので誰が悪いわけでもないからいいのでは?と単純に考えてしまいます。
>ネットの中では似たような書き込みをよく見かけますが、診断に行く人は少ないように思います。
>理屈で言えばAS者の周りには同じような人が多いのも事実なので、家族やパートナーも一緒に専門医に行けば話は早いと思うのですが…
>もしも気分を害したらごめんなさい。
suteraさんへのコメントでも書きましたが、手間や時間、その後の流れを
考えると、天秤にかけて、診断しなくても、と思ってしまう人が多いのかも
しれません。
誰が悪いわけでもないし薬で治療するものでもないのならば、診断することの
意味がどれほどあるのだろう、、とか思ってしまったりしています。
>かく言う我が家もはじめは主人と「一緒に診断を受けよう!」というノリだったのですが、仕事の都合もあってかどんどん主人は消極的になり、最近では話もでません。
>これはどういう心境なんでしょう?
>私としてはほっておくと余計気になって仕方ありません。
多分、勢いの有無と診断先の身近さ、男女差があるのかなぁと考えています。
診断してくれる病院などが身近にあって、勢いもあると、とりあえず
診断してもらってしまえ、という風になるかもしれません。
あと、サンプル数が少ないし私の個人的な感覚なので、異論を唱えて
いただいてもよいのですが、男性は論理的、女性は感情的に考えている
ことが多いと思っています。
どちらかだけではなく、どちらが主か、という話です。
論理的には変でも感情的にはAだからBよりAだ、というのが女性的で、
感情的にはAだが、論理的に考えるとBなので、Bだ、というのが男性的かと。
で、診断してASだったらどうなるか、ASでなかったらどうなるか、を
それぞれ考えたら、結局どちらもほとんど同じ結果だった、という
風に考えてしまっている場合、診断すること自体の意味を見出せなくて
診断してもらわなくてもいいや、と思ってしまうことがあるかと。
周囲の反応、自分の分析からすると、少なくとも職場では、主観的には
問題なく過ごせていると思っています。
家庭では、妻はASの本を買ってまで私に指摘しますが、そのASの本に
ある、ASの人への対応という部分を私に対して実施していることは
ありません。。
つまり、、私がASだった場合、今までの指摘以上にASであることに
ついて指摘する機会が増えるだけ、ASの人とどう付き合うかという
工夫や改善の糸口が想定できないのです。
長く書いてしまいましたし、かなり個人的な考えなので、他の人の
参考にならないかもしれません。
こういう考え方自体がASだ、という風に言われるかもしれませんね。
>ともあれとんとんさんに安らげる日々が早く戻ってくるといいですね。
ありがとうございます。
できるだけ気分転換して、家ではひっそり過ごそうと思ってます。
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