アスペルガーの館の掲示板

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[#35883] 健常者の落ちこぼれ スノーク 10/12/18(土) 18:18 [未読]

[#35886] Re:健常者の落ちこぼれ ウォルフル 10/12/19(日) 1:54 [未読]
[#35889] Re:健常者の落ちこぼれ スノーク 10/12/19(日) 3:10 [未読]
[#35899] Re:健常者の落ちこぼれ ウォルフル 10/12/20(月) 13:20 [未読]
[#35901] Re:健常者の落ちこぼれ スノーク 10/12/20(月) 19:01 [未読]
[#35902] Re:健常者の落ちこぼれ ウォルフル 10/12/20(月) 23:16 [未読]
[#35905] Re:健常者の落ちこぼれ スノーク 10/12/21(火) 13:34 [未読]
[#35913] Re:健常者の落ちこぼれ ウォルフル 10/12/21(火) 22:28 [未読]
[#35915] Re:健常者の落ちこぼれ スノーク 10/12/22(水) 1:20 [未読]

[#35886] Re:健常者の落ちこぼれ
 ウォルフル  - 10/12/19(日) 1:54 -

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   スノークさんこんばんは。不特定のASのウォルフルと申します。
>ある本に、「アスペルガーになりたい人が増えている。
>アスペルガーには天才のイメージがあるから、自分を天才と思いたいのだろう。
>努力をしたくないのだろう」

テレビや雑誌等で、歴史上の天才的な人物が実はアスペルガーだった、と紹介されれば、天才という言葉と同様、アスペルガーという概念も世間ではなんとなく刺激的で未知数で想像力をかきたてられる対象の様に受け止められてしまうのでしょう。

人間は未知なるものについては不安や恐怖、絶望を覚える反面、どこか心惹かれている側面も同時に持ち合わせています。未知なるものとはこの際、人間側に知識が欠陥していることを表すと同時に、人間の無知をいいあらわすからです。完全なる無知の状態において人は容易に不安や絶望に陥ると同時に、容易に希望や可能性を信じ込み易いです。逆に、神の如き全知の存在者は、不安や絶望に陥ることも、希望や可能性を信じる事もありません。ところが人間はまったくの無知でも神の様な全知の存在でもない中間項的な存在者なので、人間は、絶望と希望との間をたえまなくいったりきたりするのです。

おそらく、アスペルガーという概念が「アスペルガーになりたい人が増えている。アスペルガーには天才のイメージがあるから、自分を天才と思いたいのだろう、努力をしたくないのだろう」といった、当事者にとっては余り嬉しくない社会現象として取り上げられる一因には、そういった多くの人が現実社会にぶつかって自分の無能さを思い知らされ、自分自身の力を信じる事が出来ないその絶望感を抱えて生きているからなのだと思います。それは自分が努力を避けたいためというよりはむしろ、自分にはもしかしたらとんでもない才能が隠されているかもしれない、と思う事で、誰からも評価してもらえない自分自身を忘れ去りたいのだと思います。(=自己忘却=自分自身の本当の姿を知らないですまそうとする事、すなわち自分自身については無知のままでいようとする事による希望の獲得)私としては、自分の壊れかけたアイディンディティーがそれで持ち直すきっかけになるなら、それはそれでいいと思いますけどね。ただし、自己忘却の術は麻薬と同じで一旦嵌まり込むとなかなか抜け出せなくなる上に、やればやるほど効果が薄らいでくる&中毒症状として段々自分の精神状態が病んでくるので絶対お勧めはしませんが。

もちろん一方では、私の様な当事者がASという診断をもらう事で、自分の出来ないことが自分の努力不足ではなかったと納得できたり、あるいは自分の特性を詳しく知る自覚を得る事でこれからの生活に役立つヒントを得たりすることもあるわけです。(=自己発見=自分自身に関する知識獲得による絶望感の縮減)

もし、スノークさんが診断書を欲する動機が前者目的(自己忘却)でなしに、純粋に後者目的(自己発見)だとするならば、その自己発見のその時々の進捗状態によって自分の精神状態もまったく変わってくるし、周囲の世界もまた違ってみえて来ますよ。中には自分がアスペルガーだと診断された事が受け入れられない人もいますが、それは自分自身に関する知識を放棄する事、つまりはアスペルガーである自分を忘れたいがための自己忘却(自分自身は定型でありたいと希望する事)の方向に逆戻りする事を意味しています。(私に言わせると知識を捨てて無知の立場に逆戻りするなんてもったいないです)

もともと自己発見の旅というものには終わりというものがないので、スノークさんが何らかの発達上の問題をかかえている事が分かった暁には、スノークさんも私と同じ道を辿る旅の初心者だという風に喩える事が出来ますが、幸いな事には、この旅筋には旅の先達者は沢山いらっしゃるので(例えばここの掲示板の様に)何か困った事があればいつでも相談するといいと思います。

[#35889] Re:健常者の落ちこぼれ
 スノーク  - 10/12/19(日) 3:10 -

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   ウォルフルさん、アドバイスありがとうございます。

>そういった多くの人が現実社会にぶつかって自分の無能さを思い知らされ、
>自分自身の力を信じる事が出来ないその絶望感を抱えて生きているから
>なのだと思います。それは自分が努力を避けたいためというよりはむしろ、
>自分にはもしかしたらとんでもない才能が隠されているかもしれない、
>と思う事で、誰からも評価してもらえない自分自身を忘れ去りたいのだと
>思います。

なるほどと思いました。天才だと思いたいタイプの人も苦しんでいるんですね。
私は現実社会は厳しすぎると思います。何をやるにしてもすごく高いレベルが
求められて何割かの人が絶望するようになっていると思います。
不況だから、一人でたくさんの仕事ができることが求められているというのも
あると思います。もっと皆が生きやすくなってほしいです。

>もともと自己発見の旅というものには終わりというものがないので、
>スノークさんが何らかの発達上の問題をかかえている事が分かった暁には、
>スノークさんも私と同じ道を辿る旅の初心者だという風に喩える事が
>出来ますが、幸いな事には、この旅筋には旅の先達者は沢山いらっしゃる
>ので(例えばここの掲示板の様に)何か困った事があればいつでも
>相談するといいと思います。

心強いです。ASのような症状で困ったら、またここで相談してみようと
思います。

[#35899] Re:健常者の落ちこぼれ
 ウォルフル  - 10/12/20(月) 13:20 -

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   スノークさんコメント返し有難う御座います。さて、何をやるにしてもすごく高いレベルが求められる事についてはここではあえてコメントを控えさせてもらいますが(説明された処で私にもどうすることもできないため)ただ、自分のかかえている生き辛さは、テレビゲームの難易度でいうところのハードモードを選んでしまったからだ、という風に考えて自分自身を慰めています。当然ハードモードを選んでしまえば、ノーマルモードを選んでいる多くの普通と呼ばれる人よりも生きるための難易度が並外れて高いし、攻略のための様々な事前の情報収集はもちろんのこと、そもそもこのモードは何度も何度もチャレンジして努力して自分の腕を鍛えることがクリアのための大前提となっているので、普通の人が一年でやり終えるところをたとえ私が十年二十年かかろうとも、それは一向構わないことなのです。(ここは非常に重要なポイントです。これは自分自身を許せる気持ちにも繋がりますから)もちろんこうした考え方を体得してしまったため、今では「なんでこんな簡単なことが出来ないんだ!」ってノーマルモードの人に言われても私はかつてほどには落ち込まなくなりましたし、何よりも自分を許せる気持ちが生まれたためか、そういった理解のない人達も少しは許せる気持ちが生まれ、前ほどには苦しまなくなりました。人は誰しも責め苦を与えられる様な根源的な責任なんてない、人はたまたまそうなって生まれてきたんだ、と思えることが出来れば、いつでもすがすがしいのびのびとした気持ちでいられるのだと思います。考え方のひとつとして御参考までに。

[#35901] Re:健常者の落ちこぼれ
 スノーク  - 10/12/20(月) 19:01 -

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   ウォルフルさん、再びアドバイスありがとうございます。

ウォルフルさんは自分の考え方を工夫することで
生き抜いていらっしゃるのがすごいですね。
皆と同じことをしているのに自分だけモードが違うと考えるのは
けっこう難しそうだと思います。

でも私もけっこう似たような感覚はあるかもしれません。
小さい時から何をやっても人より遅いのでそれが当たり前という
感じです。なので、資格取得や家事などマイペースでできる事は
「皆よりずっと時間がかかってもいい」
と思えるのですが、職場の中ではなかなかそう思えません。
頑張っているのだから、自分が悪いとは思いませんが、
迷惑になっていると思うと心穏やかではいられません。

ラインの仕事ではベルトコンベアーに追いつけず散々迷惑をかけたので、
もうラインの仕事はしないことにします。
なるべく迷惑にならずに時間をかけて成長できる職場を探したいと思います。

[#35902] Re:健常者の落ちこぼれ
 ウォルフル  - 10/12/20(月) 23:16 -

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   スノークさんこんばんわ。

発達障害者が定型者の中に混じってまともにやりあってもまず勝ち目はないです。私も専門学時代にチームを組んで取り組む課題があったのですが、意思疎通がうまくいかない&ケアミスの連続で完全に私の存在は仲間から黙殺されました。(以後アイツと組むとロクなことがないという噂が立ち、誰も私とチームを組んではくれなくなった)当然、私の専門学校はもともと就職後の即戦力が売りだったので、こうした課題の多くはチームを組んで勉強するカリキュラムの一環として成り立っており、しかも私はこうした課題の多くで点数が稼げないので、入学早々卒業の見込みはゼロの窮地に立たされのです。

私の経験からしても、「なるべく周囲に迷惑を与えずしかも自分は時間をかけて成長できる職場」を探すのが、スノークさんにとってもベストだと思います。

かといって、かつての職場からのリタイアに気を落とさないで下さいね。もともと発達障害者は定型発達者と発達の傾向が異なるのですから、定型発達者と同じやり方で同じだけの成績をあげようなんて無茶なのです。たとえば、オリンピックでそれまで高飛びの練習に打ち興じてきた高飛びの選手が、突然棒高跳び種目に登録されて競技に出たって自分の潜在能力が発揮出来るわけがない様に、発達障害者が定型発達者が作った生活様式や仕事様式に合わせたって上手くいくわけがないのです。私には私の生活様式や仕事様式がある様に、きっとスノークさんにはスノークさんにぴったりの生活様式や仕事様式が見つかると思いますよ。発達診断なんてこの自分にあった生活様式や仕事様式に切り替えるための通過儀礼の様なものなのですから、はやく診断結果が出てこれからの新しい人生にスタートが切れるといいですね。

[#35905] Re:健常者の落ちこぼれ
 スノーク  - 10/12/21(火) 13:34 -

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   ウォルフルさん、こんにちは

ウォルフルさんも過去いろいろ大変だったんですね。
発達障害者はもちろんのこと、他にも世の中にはいろいろなタイプの、
社会の中で苦労している人がいると思います。
昨日パーソナリティ障害の本を立ち読みしたのですが、
これとこれは自分に少し当てはまるなあ、とか
これは家族に少し当てはまるなあ、とか感じました。
そう考えていくと皆が障害者のように感じてしまうけれど、
実際にそう診断されるのはごく一部だと思います。

なので定型とか健常者とか呼ばれていても皆それぞれに
(多いか少ないかは人によって違っても)困難を感じる場面はあって、
「どこへ行ってもうまくやれる」という人の方が
少ないのではないか、と思うようになりました。

定型発達者が作った生活様式といってもよく見るとバリエーションが
あって、発達障害者に近い定型発達者もけっこういると思うし、
そんなにはっきり分けて考える必要は無い気がします。
自分を知って居場所を探すのは人間皆に共通して大事な事だと思います。

私はこれから数年前に受けた知能検査の結果のコピーをもらおうと思います
が、数年前「障害はない」と言われたのはたぶん本当だろうと思います。
私にはいろいろな障害の症状が少しずつ混ざっているようで、
正確な診断は出せないのだろうと思います。
これからも「健常者、定型発達者の中では困難が多めの人」として
生きていく可能性が高いけど、それを分かってくれる人もいると思うし、
それでもいいか、と今は思います。

たくさんのアドバイスや励まし、本当にありがとうございました。

[#35913] Re:健常者の落ちこぼれ
 ウォルフル  - 10/12/21(火) 22:28 -

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   スノークさんこんばんは。

>ウォルフルさんも過去いろいろ大変だったんですね。

「生きるのが大変だ!」と今の私が思えるのは、今の私がある程度生きることに余裕が生まれている証拠なのだと思います。

というのも、今では自分の欠点や問題点が自覚出来る分、これから一生自分にはどんな苦労や災難が降りかかってくるのかある程度分かっているからです。このため、心理的負担としては診断が降りる前よりも大きくなったのかもしれません。(かつての自分は自分の欠点や問題点をまったく自覚しておらず、(アスペルガーの弱い点です)加えて、ただただ我武者羅に生きることだけに意識の焦点が集中していて他の事を気にかけたり、自分の置かれている状況を考える余裕すらなかったです)

>定型発達者が作った生活様式といってもよく見るとバリエーションが
>あって、発達障害者に近い定型発達者もけっこういると思うし、
>そんなにはっきり分けて考える必要は無い気がします。

この点については誤解なきよう少し私見を述べさせて下さい。私はなにもすべての人を発達障害者と定型発達者という言葉の括りでもって截然と分けて考えているわけではないのです。スノークさんも仰られている様に、発達障害者に近い定型発達者もいるわけですから。別の例えを引き合いに出すと、たとえば男性脳、女性脳という言葉でもって「男性はああだ」「女性はこうだ」といっても、こういった判断は女性と男性がただ典型的に考えられた場合のみ始めて正しいといえるのであって、こうした判断を無理にでもすべての個人の場合に当て嵌めようとすると必ず誤った解釈をしでかすことになります。男性女性といった性差があるのは事実だとしても、個人を形成しているもののすべてが性差の全的な影響下にあるわけではないのですから。

人間の知性はその性質上、どうしても女性だとか男性だといった純粋概念を至便的に仮定していかないことには、それに基づく認識力や思考力を構築してゆくことが出来ないのだと思います。たとえば、人間は水をH2Oという純粋記号によって表し、ここから様々な化学的公式に発展させてゆくことで驚く程思考フレームが広がります。しかし、H2Oの性質として純粋に考えられる様な水等この世にはそもそも実在せず、ここに様々な混合物や周囲の環境の影響力が加わったものとしての水が実在しています。だから私達が平素から見かける水は「不純な水」なのです。

>発達障害者はもちろんのこと、他にも世の中にはいろいろなタイプの、
>社会の中で苦労している人がいると思います。
>昨日パーソナリティ障害の本を立ち読みしたのですが、
>これとこれは自分に少し当てはまるなあ、とか
>これは家族に少し当てはまるなあ、とか感じました。
>そう考えていくと皆が障害者のように感じてしまうけれど、
>実際にそう診断されるのはごく一部だと思います。

>私はこれから数年前に受けた知能検査の結果のコピーをもらおうと思います
>が、数年前「障害はない」と言われたのはたぶん本当だろうと思います。
>私にはいろいろな障害の症状が少しずつ混ざっているようで、
>正確な診断は出せないのだろうと思います。

大学病院や総合系の精神神経科で受診された場合、病院側は最近のメンタル面で問題をかかえている患者数の増加や医者不足の根本的な問題をかかえているため、ひょっとすると、病院によっては医者側が患者の問題点を見抜きながらも、その問題が軽度であった場合には「異常なし」という診断を下すかもしれません。(ある種の門前払い)こうした事が起こる背景としては、病院側が患者の待ち時間への不満等のクレーム対応に追われている事や、医者が後から後から詰め掛ける患者に忙殺され、医者自身が神経症や鬱になるのを防ぐためとも考えられます。(もし、「異常あり」の診断を下すと、特にメンヘル系の場合、その後の患者の長期化通院の可能性が非常に高い)特に精神科は患者自身が周囲の人間の悪口や僻み、自分の悩みのたけを永延とブチマケるはけ口にしているので、医者自身相当ストレス溜まってます。まあもっとも、その場合医者は「来る者を拒む」事は出来ないので、あくまで「去る者は追わず」程度の策略なのでしょうけれども。

[#35915] Re:健常者の落ちこぼれ
 スノーク  - 10/12/22(水) 1:20 -

引用なし
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   ウォルフルさん、こんばんは。

ウォルフルさんは診断が降りることで生きやすくなったのですね。
でも私は診断が降りなくても自分の特性を知っていく事はできると
思うようになりました。

男性と女性の例は、私が感じていることをとても的確に表して頂いたと
思います。確かに男性、女性という大まかな概念は必要だと思います。

しかし、性別の問題も実はかなりややこしく、同性愛者や性同一障害、
女装・男装愛好家、自分は女性でも男性でもない中性だと言う人・・・
そういう人達にとって「女性は・・」「男性は・・・」という言葉は
重荷になったりします。

なので私は目の前にいる人が男か女かわからないような人でも、
一人の人間同士、親切に接したり、障害があるかどうかが分からなくても、
その人(あるいは自分)が何を困ってるのかを一つ一つ聞いて(分かって)
助けたり助けられたりする、シンプルな方法でもいいんじゃないかって思います。

私は科学が苦手だったのでH2Oの話は少し難しいのですが、H2Oという
考え方が無かった昔から、水を利用して人類は生きてきたし、ややこしい事が
苦手な私には、原始的な考え方が合ってるようです。

精神科については、ずっと前は「少しでも異常があれば病院に行った方が
良い」と考えていましたが、実際に精神科に通って投薬やカウンセリングを
受けても、何かが良くなったという実感がなく、本を読んだり音楽を聴いたり
する方が自分の生きやすさの手がかりになっているように思います。
なので、心理士とは話すことがありますが、今のところ病院に通うつもりは
ありません。

幸せになる方法は一つではないので、私は自分のやり方で幸せを追いかけて
みようと思います。

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