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スノークさんこんばんは。不特定のASのウォルフルと申します。
>ある本に、「アスペルガーになりたい人が増えている。
>アスペルガーには天才のイメージがあるから、自分を天才と思いたいのだろう。
>努力をしたくないのだろう」
テレビや雑誌等で、歴史上の天才的な人物が実はアスペルガーだった、と紹介されれば、天才という言葉と同様、アスペルガーという概念も世間ではなんとなく刺激的で未知数で想像力をかきたてられる対象の様に受け止められてしまうのでしょう。
人間は未知なるものについては不安や恐怖、絶望を覚える反面、どこか心惹かれている側面も同時に持ち合わせています。未知なるものとはこの際、人間側に知識が欠陥していることを表すと同時に、人間の無知をいいあらわすからです。完全なる無知の状態において人は容易に不安や絶望に陥ると同時に、容易に希望や可能性を信じ込み易いです。逆に、神の如き全知の存在者は、不安や絶望に陥ることも、希望や可能性を信じる事もありません。ところが人間はまったくの無知でも神の様な全知の存在でもない中間項的な存在者なので、人間は、絶望と希望との間をたえまなくいったりきたりするのです。
おそらく、アスペルガーという概念が「アスペルガーになりたい人が増えている。アスペルガーには天才のイメージがあるから、自分を天才と思いたいのだろう、努力をしたくないのだろう」といった、当事者にとっては余り嬉しくない社会現象として取り上げられる一因には、そういった多くの人が現実社会にぶつかって自分の無能さを思い知らされ、自分自身の力を信じる事が出来ないその絶望感を抱えて生きているからなのだと思います。それは自分が努力を避けたいためというよりはむしろ、自分にはもしかしたらとんでもない才能が隠されているかもしれない、と思う事で、誰からも評価してもらえない自分自身を忘れ去りたいのだと思います。(=自己忘却=自分自身の本当の姿を知らないですまそうとする事、すなわち自分自身については無知のままでいようとする事による希望の獲得)私としては、自分の壊れかけたアイディンディティーがそれで持ち直すきっかけになるなら、それはそれでいいと思いますけどね。ただし、自己忘却の術は麻薬と同じで一旦嵌まり込むとなかなか抜け出せなくなる上に、やればやるほど効果が薄らいでくる&中毒症状として段々自分の精神状態が病んでくるので絶対お勧めはしませんが。
もちろん一方では、私の様な当事者がASという診断をもらう事で、自分の出来ないことが自分の努力不足ではなかったと納得できたり、あるいは自分の特性を詳しく知る自覚を得る事でこれからの生活に役立つヒントを得たりすることもあるわけです。(=自己発見=自分自身に関する知識獲得による絶望感の縮減)
もし、スノークさんが診断書を欲する動機が前者目的(自己忘却)でなしに、純粋に後者目的(自己発見)だとするならば、その自己発見のその時々の進捗状態によって自分の精神状態もまったく変わってくるし、周囲の世界もまた違ってみえて来ますよ。中には自分がアスペルガーだと診断された事が受け入れられない人もいますが、それは自分自身に関する知識を放棄する事、つまりはアスペルガーである自分を忘れたいがための自己忘却(自分自身は定型でありたいと希望する事)の方向に逆戻りする事を意味しています。(私に言わせると知識を捨てて無知の立場に逆戻りするなんてもったいないです)
もともと自己発見の旅というものには終わりというものがないので、スノークさんが何らかの発達上の問題をかかえている事が分かった暁には、スノークさんも私と同じ道を辿る旅の初心者だという風に喩える事が出来ますが、幸いな事には、この旅筋には旅の先達者は沢山いらっしゃるので(例えばここの掲示板の様に)何か困った事があればいつでも相談するといいと思います。
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