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Oliviaさんこんにちは。
>時期に寄って絵を描く頻度は変わりますが(勉強が忙しかったりして)、
>ぱったり途切れたということはありません。
>未だ20年と少ししか生きていないので、これからどうなるかはわかりませんが。
>全然参考にならないですが・・・
ASの症状は年齢と共に収まっていく様なので、「興味がぱったり途切れる現象」の有無確認も、むしろ子供の頃や20歳以前の方が情報的には信憑性が高いと思われます。私も小中学以前には興味が途切れるなんて事はまったくなかったのですが。(興味がぱったり途切れる現象は自閉症とは直接的な因果関係は存在しない?)
>私も産まれた時から絵を描くのが好きです。(どんな絵でも描きます。中学の時は部活で油絵を描いていましたし、似顔絵や四コマ、写生、イラスト(矢沢あいの絵に少し似てると言われたことがあります)、筆を使った絵、PCのフォトショップで、等)
OliviaさんのHPで絵見ました。Oliviaさんは似顔絵や四コマやイラストを描かれるだけあって、あの女性の半身像も左右に斜め下から上へと、色々なアングルから描く事が出来るのでしょうね、きっと。特に四コマなんて物語の起承転結の進行順に従って登場人物の色々なアングルから見た画が要求されてくるので。私も四コマは17の時に挑戦してみましたが、まるでそんな才覚はなかったです。特に人物に関しては日頃からみていないためか、正面図だとか真横図だとかいった決まりきった角度しか描けず、他の様々なアングルからの画を描こうと思えば、思わずモデルの必要性を実感せずにはいられませんでした。
私もPCのフォトショップやった事あります。操作法や応用編なんかも少し触ってみたら直ぐにマスターできました。しかし、こうした既成のツールって案外製作者自身の絵に対する考え方や嗜好といったものが反映されているため、使えこめば使い込むほど、細かいところの描写力の点で自分の思い通りに描けない不便さが段々気に食わなくなってきました。そこで私はドット絵に切り替え、アナルグ的にひとつひとつ色を操作していくやり方を好んで採用する様になりました。ドット絵なら絵筆の筆触感だとか絵の具の艶肌、絵の具が乾いた時のザラザラ感といった質感までもが寸分違わぬ精度で再現出来、私が頭に思い描いている通りの絵を描く事の出来る満足感が得られました。
>後は、小説も趣味で書きます。気が向いたらつらつら書く感じです。
>詩はよく書く時期と全く書かない時期がランダムに来ます。
小説を書くのって物凄い教養が試されません?たとえば人物や建物の投げかける影の長さや向きは季節や時刻に応じて変化するので、いつもこの影描き方はこれで正しいのだろうか?影の他にも描写の仕方に矛盾点はないだろうか?ストーリーに矛盾点はないだろうか?って気になって、考え込んで仕舞って、学歴もなく、幅広い意味での教養のまったく私は以降まったく筆が進まなくなりました。書店なんかでは何百冊ものの小説の本が山積みの様に並んでいますが、この人達って物凄い教養があって、物凄い賢いんだな〜っていつも関心します。
でも上述した様に、小説を書くのってすぐに自分の教養の程度が分かって仕舞うので、自分にはどういった教養が欠けていて、今後どういった事を学ぶべきかが直ぐに分かる定石となりえます。Oliviaさんの様に、人生を豊かなものにするために勉学を志す者にとって、きっとこの定石は是非とも必要なものなのでしょう。絵も小説の方も頑張って下さい。
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