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> 僕の地元にも、『LD研究会』なる学校の先生が中心の組織があるのですが、やっていることが、あまりにも“普通化”ということにこだわりすぎていて、規則でがんじがらめに参加している子たちを束縛しすぎて、彼らの隠れた長所の片鱗を探すことをおろそかにしていたので、悲しくなってしまい、ボランティアへの参加を勧められたもののいかずじまいにしています。
そうなんですか…
考えたんですけど、私もASだと主治医に言われてから定型に合わせる努力…というか悪気なく人を傷つけるのは不本意だと思い、5歩5歩の割合で歩み寄ろうとしてきましたが、たいていの場合、相手はASの知識なんかないので、結局はこちらが10歩歩み寄らなくてはならないのでは?これではACになろうとしてるだけでは?
と疑問を感じます。
実際定型に合わせているAS者を見ると痛々しいような…
定型者に全く合わせられないと社会で生きにくいには違いないでしょうが、それはあくまで技術や定型理解のこと。中身はもっと自由でいいと思うんですが。
> 点数よりも…まずは子供1人1人を大切にする学校が、AS周辺のハンディを持った子たちが、真に居やすい場所だと思わずにはいられないです。
そうですね。私ももっと安心して子供を預けられる場所になってほしいです。
診断は出ても治す薬もなく、普通級には行けるけど、不登校やいじめのターゲットになりやすいですよ、ではどうしろって言うの?な感じです。
この辺にもっと受け皿があれば、AS者と保護者の憂鬱はもう少しましになるのではないかと思います。ひいてはAS者が生きにくさを感じる場面も減って、無駄に自己評価を下げなくてもすむのではないでしょうか。
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