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ラビットさんお返事ありがとうございます。
私は優しくありませんよ。むしろラビットさんの文章にこそ純粋さと優しさを感じます。
私が「僕の命に変えても」という言葉を選んだのは
自分はもう魂が枯れてしまったので
納豆さんは納豆さんのままで幸せであってほしいという意味です。
私は、小さい頃から自分の書いた絵や曲を親に否定されながら育ち
常に嘘をつき続けることで、精神的にギリギリ安定を保って生きてきました。
実際には命に変えて納豆さんの幸せを祈る事はできないので
最低な嘘つきなのかも知れません。
ごめんなさい…。ただ、納豆さんが幸せでいてほしいということは本当です。(信じていただけないかも知れませんが。)
*話はそれますが、「ASは純粋で嘘をつかない」こう思われている方がいらっしゃるかもしれませんが
それは絶対ではありません。
自分のように、何らかの原因があって自己防衛の為に嘘が慣習化することはあり得ると思います。
そして、無意識についた自己防衛の嘘が、自分の首と胸を絞め続けると
どれが本当で、どれが嘘か自分でも分からなくなります。
エゴや人間関係が絡んで抜け出せなくなると、魂が枯れて、「全て他人は消えて灰になっていただきたい。」って思うようになるかも知れません。
書いててよく分からなくなってしまいましたが、「ASは純粋で嘘をつかない」は絶対ではないということです。
長くなってしまってすみません。僕もラビットさんのように純粋で優しい人間になれたら、今頃もっとちゃんと生きられたのかなぁ…
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