|
はい。一生懸命やれば結果はどうであれ、良いと思います。息子に対しても同じです。でも、これではいけない年齢になりませんか?
実際、判断するのは「私」ではなく第三者で、「家でいくら宿題をやったと言っても提出していないのはやっていないのと同じ」「検定なども、一生懸命やったところで受からなければ受けていないのと同じ」マラソンでもいくら練習の時に良いタイムがでても本番で出なければ駄目となります。
いくら立派な素晴らしいレポートを書いても「期日」までに提出できなければ意味がありません。
本心はこう思っています。
確かに経過は大変重要だと私は思います。
でも、経過がいくら良くても結果を出せなければやっていないのと同じとまでいきませんが同じような感じと思います。
せっかくやった宿題を持って行くのを忘れ減点されたとき、「あちゃ〜〜、せっかくやったのに持っていかないなんて・・・やってなくて出してないのとおなじじゃん」と言ったことはあります。(夜遅くまで頑張って仕上げたのに持って行くのを忘れました。本人が一番ショックだと思いますが、せっかくやったのにな〜〜〜の思いが出てしまいました。」
息子はどうしても出来ないこと、苦手なものがあります。
だから、苦手なりにも一生懸命やってみたらどうか、100あるうちの80しかできなくても提出したらどうかと促しますが全部出来ていないからいやだとなります。
もちろん、100%できなくても80%でも60%でも褒めています。家では頑張ったところまでは褒めます。
でも学校では良く頑張ったとは100%出来ていなければ褒められません。(赤ペンで、途中までですね。残りはどうしましたか?)と書かれます。
いつか必ず、その「経過」が役に立つ時があるとは思いますが・・・世の中は結果主義では?
親は経過を見ているので頑張ってるねと言えますが、社会、世間はどうかなという感じです
|
|