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▼nobody knowsさん:
>桜井さんの指摘は、ある意味とても大切なものだと思います。
>発達障害の医学的なことを知っているか知っていないかではなく。
>自分の「育ち」の問題をどう解釈するか。その違いであるように思っているのですが。
>僕は、ASと「健常」とは、文化の違いであると思っています。
>どうしても同じ世界に生きている限り、僕は、桜井さんの考えも大切にしてみたい、そう思います。
あの後、この掲示板から遠ざかっていたので、改めて今日読みました。
私への指摘、なるほどと思いました。傷つきたくないという思いから、人に対しても「優柔不断」となって、はっきり言わない自分がいるのかもしれませんね。
ただ、自分の書き込みに、もう少しことばを付け加えたいと思います。
「文化」ということばについて。
「障害」、たとえば「ろう」の人たちがいます。ろうの使う「手話」は耳が聞こえないから仕方なく使うことばなのではなく、立派な言語です。「ろう文化」が認められてきた結果、手話の普及は日進月歩です。
同じようにASも「障害」なのではなく、そこに生きる人たちが共有する立派な「個性」ではいけないのでしょうか。
だいたい「健常」とは今の世界の平均なのであって、それと比べて悩むだけでいいのかなって思います。ただ、この社会に生きるかぎり辛いのですけど。
だからって辛いからあっちの健常の世界に少しでも近づこうと私たちが四苦八苦するのではなく、お互いが理解し合ってお互いに近づいていく作業が大切なのではないでしょうか。
スペクトラム=連続体という概念が自閉にはぴったりです。人はいろいろなことばにしますよね。傾向とかマイルドタイプとか、軽い、重い、○○系とか。それをどこで区切って自分が自閉症と考えるのかはDr.に任せない限りは、個人の考え方次第のような気がするのです。桜井さんの考えは確かに「あれっ」と思うことはあるけど、文化同士の共有のためにこのような書き込みはあっていいと思うのですが。
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