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▼わんこママさん:
>この春に小学校入学する男の子のママです。入学前に、ついに診断を受けてみようと決意しました。でも・・・やっぱり怖いんです。はっきりと診断されてしまうのが。発達がゆっくりなだけじゃないのかって思いたい。仮に診断されても、その後のフォローも不十分ともきいています。診断されて、私自身が落ち込むだけなら、やめたほうが・・・とも考えてしまいます。アドバイスなどいただけたら、嬉しいです。
「未診断だが、自分はASに近いと確信している」wentです。
私は親になったことがありません。子供時代の私の視点に偏った書き込みになるかもしれませんが、ご容赦ください。
「身近な大人が、子供本人の発達障害の特性に合わない対応をして、その結果子供本人が不利益を被る危険性がある」ということを、知ってほしいです。
そして、その不利益については、当然誰も責任を取ってはくれません。
また、子供本人も、「本人がどんなことに困難があってどんな支援が必要か、また、その代わりに自分は何ができるのかを考える」ことを身につけていく必要があると思います。そのことを考える際に、「発達障害の特性について知る」必要が出てくる可能性は大きいと思います。
私の場合、「私がパニック状態となった時に大人が取った言動」が、ASの特性に合わない対応だったと思っています。
「状況判断力を付けるためのヒント」「ものごとの見通しを立てられるようになるヒント」「いったん気持を落ち着かせるためには何をしたらよいのか、それを知るための手がかり」といったようなことには、全く結びつきませんでした。
しかし、私の身近にいる「発達障害なんか存在しない」と主張する人からは、次の言葉が返ってくるのです。
「他の人は、あなたと同じような態度を取られても、取り乱さない人に育っている。あなたが努力しなかっただけだ。」と。
無駄な模索・努力を長年続けたんですけどね、私は。
このパニック状態に関しては、「こんなことになるのは、私だけだ。私はおかしいんだ。」「高性能の感情抑制装置がほしい。私がパニックを起こさない人間になれたら、『wentは何もするな』と皆から言われない。」と子供心にも思っていました。
どうせ誰かに相談しても、「おまえの性格の問題だ」で片付けれると思っていました。
パニック状態以外にも、不器用等の困難さを感じていました。これらのことも同様の理由で、誰にも相談できませんでした。
もしも、「個性について理解しようとする姿勢」を持たないで「発達障害ではない。単なる個性だ。」と主張する(注 わんこママさんがそうだという意味ではありません。先に述べた身近な人に、その疑いを持っています。)のなら危険だと思います。
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