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▼そろばんさん:
>Cyperus-Aさん、こんにちは。
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>基本的に、無理してでも何かを達成しようとしている人が自殺を考えるという事はあまりなく、むしろ、失職などにより社会からドロップアウトした人が将来を悲観して衝動的に自殺に走るというケースのほうが多いのではないかと思います。
>つまり、「無理」をするという段階まで達する事が出来ない人のほうが自殺のリスクが高いという事です。
確かに…“私はこれを一生懸命にやりたい!”ということを、何か一つでも持っている人は、どちらかというと“うつ”になっても、ある意味“スランプ”くらいで、ボロボロになるほどまで追い込まれにくいのではなかろうかと思えます。
>「無理」が“日本の元気”を吸い取っていると考えられていたのは、高度成長期の仕事が有り余っていた時代の話で、今は全く逆の状況になりつつあります。
けど…よく見ていると、意外に“このままで大丈夫かな?”というふうに、疑いたくなることがあります。
特に僕が、ひょっとして“追い詰め要因”になっているのでは…と思うのは、“住まい関係のコスト”です。
一人暮らしを底値のアパートでするにしても5万円以上は家賃で消え、光熱費まで考えれば、もう一・二枚万札が消えるでしょう。4人家族が暮らせる家ならば、大体2000万円くらいが標準でしょう。
とてもじゃないけど…今、こんなコストを出してまで、持ち家を構えて新たな気持ちで、“エコロジー”や“子育て”・“遠方でのボランティア”などやって、社会貢献というわけにはゆかないというのが、結構…若くしてうつになる方の本音のような気がします。
東日本大震災後の問題として、家のローンが残っているうちに、津波や液状化で激しく壊されてしまって、再建するのにまたローンが組みがたいという“二重ローン”問題が浮上してきています。
住宅の価格が高いのは、“土地の値段が高い”というのもそうですけども、一方で、“使っている材料の数が多い”ということもあるのじゃないかなという気がします。もっと絞って“3、4種”くらいに抑えられれば、かなり安くなるような気がします。
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コスト以外にも、“並び方の形”も変えていく必要がありそうです。マンションが林立したり・五角柱形のうちが直線状にずらっと並んでいる光景を見ると、僕は無性に悲しくなります。なんか…人々が円滑に絆を育みにくいような場所のような気がします。
大昔の村は、広場の周りを“掘っ立て小屋”が囲んでいて、人々が自然に交流できるような感じのつくりでした…
“四角から丸へ”というか、“あえて人々の世界線を交差しやすいように”仕組むということも、未来の街づくりには必要な要素のような気がします。
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