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▼スモハンさん:
> 表向きには可能でも、人の本当の心までは操作できません。
つまり、わかりあえることなんて無理でしょう。
その通りだと思います、でも少しでも相手の立場に立って
考えてあげる事が重要なのではないでしょうか?
例えば今回のケース
彼は「当時の担任教師がいじめに遭った時に助けてくれなかった」
と言っています。
彼は、いじめられている事に気づいているのに、
助けてくれなかった担任を恨んでいたのです。
(いじめられている事に気づいていない担任を、
恨んだりはしないでしょう)
その時に、もし担任が彼の心に気づき、いじめをやめさせていたならば、
このような悲劇にはならなかったと思います。
「わかりあえる事が無理」と、みんなが思うような社会になれば、
本当に恐ろしいことだと思います。
少なくともこの手の犯罪が、少なくなる事は無いでしょう。
>これは悲観というより、ただの事実であろうし、
また、特別理解しあう必要なんてないとも思います。
例えば、我々の社会が身体障害者を理解しない社会だとしたら
どんな社会だと思いますか?誰かが
「障害者が住みにくい社会は、健常者にとっても住みにくい社会」
と言っていました。自分もその通りだと思います。
>「現実と空想の区別」を、作家や編集者や読者はつけられていないと思います。それが、人間という生き物だと、私は思います。
空想を現実にするのが人間なのではないでしょうか?
区別してるからこそ、現実に一歩でも近づけようとしている
人たちの努力を、踏みにじるような発言は止めましょう。
少し感情的になってしまいました。
ごめんなさい。
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