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▼nahoさんこんばんは。不特定の広汎性発達障害のウォルフルと申します。
「作品を世の中に出す勇気」とのことですが、世の中に出すも何も、人は一旦生を受けてこの世の中と関わってしまった以上は、人に見せようが見せまいがその過程で作り出される作品はもうすでに世の中に出てしまっていてそこから抜け出ることは出来ないのだと思います。
絵の起源はもともと顔に描くアート、つまり化粧だったといわれます。化粧はコスメティック、そしてコスモはギリシャ語にその起源を持つ宇宙の意味です。つまり絵とはもともとは宇宙(世界そのもの)と交信するための記号のようなものだったのです。人間の存在は人一人がバラバラに存在しているのではなく、どんな暗がりの闇の中で一人たたずんでいようとも、根本的には世界と密接に関わり、その関わりから抜け出すことは絶対にかなわない。そしてかなわないというところで実存的に安心し切っている、それが世界に対する感謝の印としての絵であり、信仰だったわけです。なにも現代の女性が化粧するように、人に良く見られようだとか、注目を集めたいだとか魅力的に見られたいからといった理由で「アート」が存在するのではなく、常に自分の存在や隣人の存在、動植物や太陽や星々の規則正しい運行を生かし、これを産み育てまた懲らしめさえする宇宙に向かって自然と驚嘆と感謝が沸くような瞬間(啓示)との出会い。その瞬間との共鳴の中にアートの意義がいつも還り立つ限りは「作品を誰かに見せることの恐れ」などはすぐに消し飛んでしまいます。なぜならその誰かもまたこの宇宙を形成している一要素であるという確信が生まれる以上は、なにも自分とは相容れない存在と考える事ができなくなっているからです。
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