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▼百合奈さん:
これは新しい勉強をさせていただきました。
ありがとうございます。
学ぶって大事ですよ。私にはもう枯れかけている、パワーを感じます。
歳を取ったら代謝も落ちてくるし、頭の中の過去の再燃だけでも疲れて、身体を休めていても、精神とか心が砂漠のように乾燥するのを感じることがあります。
ASなので過集中やこだわりや再燃があっても、若い頃のようには行動に移せません。
列車に乗って発達障害支援機関に出掛けていくことや、本、ネットに没頭した時期もありましたが、情報だけは底無しなのに、現実が変化しない、させられない無力感などなどに失望して、おばさんは今はひたすら一時停止しています。
若いから、知的好奇心も元気だし、純粋さや向上心がちゃんと稼働してる、だから行動に移して学べるんですよ。
百合奈さんの行動力を、いつまでもさまたげない社会であってほしいですよ。
発達障害の能力問題でよく言われること、「普通の人の何十倍も練習が必要なだけなんだよ」「普通の人よりも細かい丁寧な説明、コーチが必要なだけなんだよ」などが示していることは、仕事の能力だって、学力だって、生活力だって、ハードルが高いだけで、理解力があることが前提になっています。
だから、一部の進んだ都道府県をのぞいて、まだ大半の地方は発達障害は障害者年金の対象になってない。障害の程度がすごい重い人もいるのに。
自分で努力して就労してやっていけるでしょ!福祉は忙しいから構ってあげられないんだからね!という、『おカミ』の勝手な事情で、“自分でやっていける人”というくくりにされちゃっているのです。
決めつけられちゃっているのです。
それで、人間関係にも困り、食うにも困り、リタリンは無くされストラテラもお登りさんしないとお目にかかれない、不公平な、社会的不自由に置かれているわけですが。
一般的な自由は認められているわけです。
退職自由、就職自由、住む所自由、ニート自由、自活自由、車、パソコン自由、ムカっときたら病院を変えるのも自由、旅行も、寝食も自由。
そして、恋愛も結婚も自由。
ここは、(生命を守るためなんですが)福祉の目があり、必要に応じた制限がある障害者の生活とは違いますね。
福祉の担当者が付いて、身内にもプライベートを知らされなくちゃならなくて、報告義務がある生活保護の場合とも違いますね。
人間らしい生活を理解する理解力があり、(文句はありますが)一般的な自由をもらっちゃってるわけです。
百合奈さんが揚げていらっしゃるようなASのかたたちは、広い自由と権利と、それに伴う義務ももらっているにもかかわらず、性問題にだけフォーカスしていることを、わざわざネットでばらしているんですよ。
自由と権利、それに義務がついてくる基本中の基本を、分かりません、分かりたくありません、嫌です、そう言うことは、自分は『義務教育』を理解していませんということに通じてしまうと思うんです。
それをネットでさらすんです。発達障害はこんなに恥ずかしいんです、法で自由を制限しなくて大丈夫なんですか、と。
私はそこに、危機感を感じます。
人間の尊厳とか、人間社会のルールとか、発達障害の障害の名前が日本に入る前でも、多くの大人はなんとなく分かっていたんですよ。
「社会適応って何?」「社会参加って何?」と聞かれて、発達障害の本を読んだようにとうとうと的確に説明するわけにいかなかったでしょう。私もできませんよ。
でも、昔の大人は身に付いていたんですよ。
そこすら分かっていない人、と思われて行くのが、くくられていくのが、私は怖いですよ。
私は昔、発達障害をやむなく職場に伝えたこともあります。身内に伝えたこともあります。
そうすることが、これからは周囲への配慮ではなく、自分を危険にさらす行為になっていくのではないかと。
自由を手放したくない発達障害者は、診断も求めず、コーチも探さず、手近の弱い人を攻撃して依存し続けるのが、良い要領だということになっていきやしないかと。
だから、まとまりづらいレスになりましたが、百合奈さん、危機感て大事だと思います。
人間らしい感情をよく感じること、自覚すること、整理して、プライドを持って、自身を持って善悪を判断して、言葉にしていくこと、これをやめちゃいけないと思います。
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