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▼ぎんゆきさん:
>なかなか想像力が及びませんが、ご家族が健常だと、優等生ばかりに囲まれている劣等生のような、理不尽な劣等感に悩まれてきたのではないでしょうか。
>私の妹は、家族の中でも健常にもっとも近く、友達がたくさんいて要領が良く、人前で固まってしまう私のことを、「お姉ちゃんは勉強はできても、頭が悪い」というようなことを言われたことがあります(;_:)
そうです,その通りです。顔面は母に似てるのに女性らしいと言われる気遣いができなくて世渡り下手。
家族はみんな人あたりがいいのに私だけ空気が読めない;
健常の弟から「姉ちゃんは世渡り下手だよね。」と言われて
「どうすればいいのか分からないから困ってんだよ〜」と言ったことあります・・
>診断が下るまでは、両親は私のことを「普通だ」と言い続けました。
>自分たちを基準にして考えるので、いくら周りが迷惑をこうむっていても、「自分にとってはこれが普通だから」という変に頑固なところがあって、両親のフォローに否応なく奔走していた私のことを、「普通」だと信じて疑わなかったんですね。
>仕事を首になったりいじめられたりで悩んでいた時でも、「なんでもできるよ。秘書なんかもできるんじゃない?」とか言われました(T_T)/~~~
>今だったら、「できるわけねえだろ〜」(汚い言葉をお許しください)と心の中で突っ込みができますが…当時、真に受けて突っ走らなくてよかったです。
>すでに、けっこう突っ走ってしまってましたが;
>
私の場合は精神異常だと思われてました;
「当たり前のことをできない方がおかしい。あなたは病気なのよ」と。
診断前は精神病扱いで診断後は「触れてはいけない実家の汚点」に見えるようです w
それでもアスペのしぶとさから何年も理解して欲しい要求をしました。
今の親の理解はしぶとい拘りの成果です。
息子は不思議そうな顔して聞きます。
「ママとお祖母ちゃんは仲が悪いの?」って。
私は「お祖母ちゃんなりにママを心配してキツイ言い方をしちゃうんだよ。
大人になるとね〜好きとか言われなくても相手の好きな気持ちが分かることもあるんだからね」と言ってます。
>辛いですよね…もしものことがあったら、と考え出すと、気の休まる暇がありませんよね。普通の人の何倍も気を張り詰め続け、トータルの労力が半端じゃないと、「脱力」しても仕方ありません。
>母もしょっちゅう脱力してました。交通事故を起こしたり、一歩間違えば命に係わるけがをして帰ってきたこともありました。
>今思うと、不注意・衝動性を抱えた母は母なりに、必死だったのだろうなあ、と思います。
>子供だった私は、調子が良い時の母と、脱力している時の母とのギャップに、ひたすら混乱してました。変にテンションが上がっていたり、必要以上に高くなっている母の声を聞くのが苦痛で(これは聴覚過敏のせいもあったようです)、次に来る鬱状態が想起されて、私自身の全身から、力がみるみる抜けていくのです。
>大人になり、かなり冷静になった今でも、母に会うたびに条件反射のようにそれが起こります。
これ当事者以外は気づきづらいことかもしれません。
親は脱力中の私へ「この程度のことはできないと母親じゃない」と言います。
ケンカする気力もないときは「そういう体質なんだから仕方ないじゃん。」と言うと
親子ケンカの宣戦布告になるので「今は育児疲れで頭が回らないからフォローをお願いさせて。」と言ってます。
>健常者の感覚ではズレているとしても、発達障害を抱えながら、「拘りである」と自覚したうえでそのように仰っていることは、私にはすごく健全なことのように思えるのです。
ありがとうございます。健常の感覚は「できて当たり前」なんですよ。
それをしたいと思う私は「要領悪い人」と思われるのが現実です。
たまにアスペな私の育児論を知った先生方が詳細を聞きたがることもありますが・・
>家には、猫がいます。猫って感受性がすごく強い動物で、私が精神的に不安定だったりすると、敏感にそれを察して、病気になってしまったりするんですね。
>自分で自分の面倒も見られない自分が、猫を病気にさせないために、必死に働いたり部屋をきれいにしたり、明らかに能力以上のことをやっているんです。
>無理のしわ寄せが、どかーんと襲ってくることもありますが、以前より健康になりました。
動物へ思いやる気持ちは対人にも活かせますよ。
私は気が効かないため動物を飼うのは不安なんです。
猫大好きだけど,猫は自由が好きなので猫の生育環境を考慮し始めると
日常,できたことが脱力感でできなくなる恐怖があります。
でも能力以上のことをするとストレス以外の感覚も湧きますよね。
猫が嬉しそうに転がってるとがんばって良かったと嬉しくなりませんか?
私がしてることも似たようなものです。
動物と違って人間は自分の意思を伝える生物なので
気に入らないときは気に入らないと告げる違いがあるかもしれません(^_^;)
>ASとかADHDって、ともすると他者を自分の世界に巻き込んでしまいがちですよね…
>他者との距離の取り方が極端に下手で、
>親子関係になると、無意識に「自分の子供」=「自分の所有物」という感覚に陥ってしまいがちなのではないかと…
>その点、猫は、私の「丸め込み」を許しません。嫌だと感じると逃げるし、
>寝込んでいる時でも、「おなかすいた」とか「トイレが汚い」とかうるさいし(笑)
そこは人間の子供と同じです。
赤ちゃんはオムツが汚れた,お腹空いた,と鳴き声でしか表現できないんです。
甘えたいときでも泣くことでしか表現できません。
泣いてる子供の顔を見ると「この世の終わり」かと思わせるような表情をしています。
空気読めなくても「これは放っておけない。なんとかしなきゃ」と思うんですよ。
そこは共通点だと思いますよ。
>人間を一人育てるなんて、私には荷が重すぎて、どれだけ大変なことなのか、想像がつきません。
>でも、本当に守りたいものがあると、発達障害を抱えていても、過集中を最大限利用して、なんとかできるのではないかと、感じることがあるのです。
>「何が何でも守って見せる」と死にもの狂いになれるのが、発達障害の強みなのではないかと…
はい,私が使ってるのはそういう能力です。拘りや過集中は持ってる人が多い機能です。拘りを満足させるための労力を厭う当事者は少ない気がします。
なぜなら自分がしなきゃ気が済まないことだからです。
>
>息子さんが「僕のお母さんは変」と気付いたとしても、それはそれで幸せなことではないでしょうか。親を客観的に見ることができる能力というのは、どんな子供にも与えられるものではないですから…(自分の経験から、そう考えています)
>
そうですね・・客観的な視点を持った息子が私をどう評価するのか
気になるところでもあります。
私は子供が生まれちゃいけなかった,というコンプレックスを持つのが
とても不安です。「自分は要らない人間」という子供の頃に感じたコンプレックスを
息子に味あわせたくないんです。
どうすれば・・?
恥ずかしいけど息子へ海外の習慣みたいな「大好きだよ」を連呼してます;
ネットなら書けるけど「あなたに喜んで貰いたいたいと思ってる」とか。
>サーシャさん(パソコンに弱いため、カタカナで失礼します;)がそう考えていらっしゃる限り、息子さんは、サーシャさんの努力をしっかり栄養として受け止めてくれると思います。
>
だったら嬉しいですね。
女性と男性の感覚は違うので気が効かない母親は
嫌われるんじゃないかと不安になることもあります。
>>もしかして「好きなのに上手に関われない葛藤」が
>>ぎんゆきさんのお母さんにもあったかもしれない気がしました。
>
>多分にあったと思います。母だけでなく父も、私と「上手に関われない葛藤」に悩んでいたんだろうなぁ…と。
>今でこそ、両親の葛藤や苦労に目を向けられるようになりましたが、もっと早くそうなっていたら、お互いここまで苦しくなかったろうなぁ…と思うことが多いです。
>
>またまた、長々と書いてしまって失礼しました(>_<)
>「なるほど、こういう立場の”子供”もいるのだな」くらいに受け取ってくださると、幸いです。
適切な距離感は当事者の私は考えるところが大きんです。
どこからどこまでの距離感なら適切なのか
私は必死で検索しました。
どこまで関われば放任にならず,過干渉にならないのか
その範囲が知りたかったんです。
今でも私は健常が普通,と定める範囲が解りづらいです。
健常が普通と思う範囲は個人差があるので
今も自覚できてないけど犯罪や事件,事故にならない範囲はマシです。
過集中が途切れようと帰宅時間は常に気をつけなきゃいけない。
偏食や偏った食習慣だと健康上は良くないので
栄養バランスは気をつけきゃいけない。
衛生面に気をつけなきゃ子供が病気になる原因になる・・
こういうのが脱力中もあるんです。
できる、できないの不安や恐怖は薄くなりました。
悩む気持ちの余裕が無いんです;
子供に何かあったら困るから脱力中でも
しなきゃならないの感覚だけは残ってます。
これ変な親の拘りです w
健常なら全て当たり前,で処理する気持ちです。
自分が健常とどこか違う気持ちなのは自覚してるけど
他者へ危害を加える内容でないよう気をつければ
(一部の健常は子供を愛するあまりモンスターペアレントになる場合もあるそうです。)
なんとか社会適応できるかな〜と思ってます。
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