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▼百合奈さん:
>▼とりあたまオバサンさん:
>ですから、理性がない当事者だと普通にセクハラ発言を>リアルで笑顔で言ってきたり、欲求に正直すぎてトラブルを起こしているのを>幾度となく目にしてきています。
私はお酒の場とか、歩行者天国のイベント中くらいでしか『はめ』を外した人を見たことが無いですが…。
幾度となくなんて、なんか大変そうな環境にいらっしゃるんですね。
>結局泣き寝入りになる事件、相手が障害者だから悪くないという
>最悪の事態が起きたりしています。
>(一般的にそれを指摘すれば、同意されながら白い目でみられたりしますね)
>発達障害は、そこまでのトラブルはないにしろ>そのグレーゾーンが見えにくいという特性から>不快感を与えることは頻繁にあります。
失態をやらかしたことを、気づいていないとか、分かっていないのは、はたから見ていて痛い。
お酒とかで分かっていないことにするとしても、「僕、なんか失敗しなかったかな。お酒が入ると気を付けていてもまずいことを言ったりしたりしてしまうんだ」と、後からフォローを入れるとか、探るとか、恐縮するとか、そうやって身を守る技術を知らなければ、教えたくなりますね。実際には教えられませんが。
それだけならまだしも、不快感を与えたことを、分かっていても、反省するとか恥いるとかすることを知らないと、さらに残念です。
>個人的には当事者にはもっと性的な部分を踏みこんで養育すべきだと>思っています。>他の知識はしっかりしているのに性的な部分だけ一部の知識はあっても>常識がないという状況になってしまうと>とても残念だと思います。
コミュニケーションは自閉しているのに、性の知識だけ一人前に持ち合わせていて、ムッツリしていたら、とてもバランスは悪いですよね。
そのうえ一度しゃべらせると失態をやらかしたり、失礼発言をしたり、女性への配慮が欠けてしまうなら、目も当てられませんね。
>相手の気持ちを考えるという部分にハンデがあるにしろ
>健常者であれど認識していないと>最後に苦労するのは自分だけではないのです。
子どもができたら、相手の気持プラス子どもの気持、人格形成、精神発達などに即、自分が関わらなければなりません。
そこの最高責任者になることの重さ、これは健常の子でも発達障害持ちの子でも、十代から教えられなければならないと思います。
自由恋愛の権利を持たすなら、大人がセットで教えることですよね。
他の方のレスでは、そこの指導を懇切丁寧に受ける経験も機会も少ないから、という問題提起もありましたね。
そこを教えたい、ボランティア精神、黙って見てはいられない気持、なら分かります。
私は上手に教えられません。
有志の方で、男性なりの方法で、ぜひ、日本男児になるまで、紳士になるまで教えていただきたいですね。
>性欲は人間の三大欲求なんで>恋愛するな性欲持つなって言う話じゃないです……
>自制心、相手がそれを向けられて伴うリスクへの理解…
>他の部分がちゃんとできている分>基本すぎることへの常識なのですが
>これを指摘できる人間関係を持つまで行かない方も出てくるんですよね。
>そしてその理由に気づかないまでになると
教わる側は、異性に相手にされないことを恥じることを、前面に出す場合じゃないと思うのです。
性欲のコントロールの仕方を知らないこと、コントロールしなければならないことを知らないことに、まず羞恥心を感じて欲しい。
謙そんを出来る男性には、美しさを感じます。
謙そんの方法の一つとして、恥入る心を持つことではないかと思うのです。
話が逸れますが、礼に始まり礼に終わる武道のあいさつ、時代劇の武士の折り目正しい所作、これは自分が存在している世界への謙虚とか、畏敬の念?とかが無いと、成り立たないと思うのです。
こういう精神ができていない人は、私も含めますが、そもそも異性のコミュニケーションの世界へまで踏み込まなくてもいいと思うのです。
能力はある。
無理できないのが発達障害。
異性にまで手を広げなくても、問題を起こさないで就労できるとこまででいいじゃん、と思います。
発達障害の人同士で教えても、医師が教えたとしても、コーチが教えたとしても、家族や友達が教えたとしても、分からなければ、我慢すればいいんです。
脂汗を流してでも、泣いてでも、痩せてでも、異性を求めたい欲望を我慢すればいいんです。
できないんだから。
字句以上のことが分からなくても、ひがみたくても、過去現在未来のことでこだわりがやめられないことがあっても、アドバイスを受け入れたくなくても、それでもアドバイス欲しいと乞われたって、あげられないものはあげられませんね。
ずっと反撃されるための掲示板じゃないんですし。
発達障害の人同志のコミュニケーションだから、ただひたすら反撃をされなければなりませんという義務は無いですし。
反撃という言い方は合っていないかもしれませんが、言われたことに対して、彼らは肯定をしません。
「それはいい訓練方法です」「言われたとおりです。そういう視点は新鮮です。よく分かりました」「使える情報をありがとうございます。聞いて良かったです」みたいな実感や感情の入ったお礼を、彼らは書けません。
私は、発達障害診断をもらったばかりの頃、ネットで物を教わった時には、今読み返してもウザい程のお礼を書きました。
教えてくださる経験者は、繋ぎとめたい、離しちゃいけないと、全力を使いました。使い過ぎて、おかしくなりかけた程です。
肯定も、受け入れもされない人間には、レスを書く価値は無いんですね、私は要らないんですねと言いたくなります。
そんなに数は見てないですが、発達障害の掲示板やブログのコメントに共通することとして、母性が強い人は根気よく書き続け、いいことを書かれていることがあります。
いい父性の見本になる方って、長居なさらないことが多いですね。
渡辺謙や渡哲也のような、おごそかで他人を立てる受け答えが出来る方が常駐していらっしゃったら、即、弟子入りして見本にすればいいと思います。
私達、女性もキャーキャー言うかもしれません。
チャラさの欠片も無くても、注目されるキャラ、技術は存在するんですよ。
>ここまで二極化するのも>不思議ですが
確かに不思議です。
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