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▼とりあたまオバサンさん:
>特に女性の発達障害の人は、自己防衛力とか嫌悪感とかのアンテナは、ちゃんと磨いておいていいと思うんですけど…。
自己防衛力のアンテナと、配慮ある表現をしなくていいと考えるかどうかは
別だと思います。
確かに一部の男性の女性を求めすぎる態度に対しては、警戒心を持つことで
身を守るのが賢いやりかたかもしれませんしスレ自体は的を得ていますが、
私やたけるさんは
「発達障害者は健常者に比べて優れたところが何一つない」
ともとれる発言に「それはちょっとおかしいんじゃないかな」と感じたのです。
>自己の保身と向上と尊厳のために、目的意識をしっかり持って、恋愛をあきらめられた方もいますが、周囲から返ってくる反応はいまいちです…。
そりゃあ・・・・そうですよ・・・・
恋愛を諦めることやつつましく「分相応に」ちぢこまって暮らす生き方と
人間や社会について学ぶことで不器用ながらも適切な対人スキルを身に着け
大切な人との本当の幸せをかなえられる生き方、どちらが建設的かといったら
後者ですから。
理屈とリスク回避のために幸せやときめきを諦めろ、
と訓練のほうをする前から言われて納得など、できませんよ。
とくに若い人やその親は、諦めるより先に自身や社会の
可能性を信じたいものです。
確かに理屈や先人の知恵、哲学には自身を強く、純粋にしてくれるという
利点もありますが、それだけで語れないもの、それだけでは身につかない
ものもあると私は思っています。
なんだか「理屈や純粋さだけ先に学び、実践は後回しにすべき」と
言われると、子供から子供時代を・・・ではないですが、
青春を謳歌しうる青年から青年時代を奪ってしまっているみたいで・・・・・
それになにより、人生は学ぶため・リスクを避けて安泰を保つためだけでなく
楽しむためにもあるものじゃないですか。とくに若い時代は。
もし最低限の人に迷惑をかけないマナーと常識がそなわっていれば、
それこそ楽しみとその最中に起こる失敗の中で理屈を学んでもいいと思うのです。
事実、私の場合理屈に囚われて経験を先延ばしにしていた数年前より
友人関係、恋愛関係などすべての関係がうまくいっていますし。
どっちを諦めるか、どっちを先にとるかではなく、車の両輪のように
両方を時に楽しみ、時に学び両立させていくのがベストではないかな、と
思います。
これ以上は書き込まれないとのことですが、
一つのお返事・意見としてぜひご一読いただけたら幸いです。
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