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毎日、考えたり、書いたりして、反省文を作っていました。
でも、書いているうちに、ここに載せる必要は無い文なのではないかと思えて来ました。
だから多くは省くことにしました。
郷に入ったら郷に従うことが礼儀だと思っていますが、こちらの郷に私は従っていなかった、結果、みなさんを傷つけたことが現実だと思っています。
過去に、私と信頼関係を作ろうとしてくださった、インターネットの中の数少ない、心ある先輩たちのやり方に、物足りなかった部分を継ぎ足し継ぎ足しすれば、こちらのみなさんとも通じ合えるのではないかと、今考えれば甘いことを考えてしまいました。
本は国境の向こうの個人の事例を理想と共に紹介するだけ。
医師は、医療への期待だけ極限まで煽るだけ、私に自己紹介をさせて検査するだけ、私が私の価値を、これからの時代のASに期待されるやり方で発揮することを、具体的に期待してくれる日は待っても来ない。いい子にしても来ない。モルモットを覚悟しても、実験観察道具で終わるのか、そうでないのかも、出してこない。
突進するエンジンは、当時は24時間かかっていました。
進む先が無い。
狙いが分からない薬は出てくるけれど、『止まれ』『走れ』が言われない。
仕事では、時を逃してから『どうして?どうして?』何が?『ちゃんと判断して!』『勝手にしないで!』どっち?『今まで答えて来ました!』『どうして聞くのか分からない!』
威圧でエンジン回転数だけあがりっぱなし。
薬の副作用で、深く理解する集中力がみるみる途切れていく。ミスしたらどうしよう。ミスの後処理の計画を立てられずに真っ白になったらどうしよう。
募る不安。
正しさへの突進。突撃先。ASなら誰でも命に変えても欲しい物なんだろうと、そういう認識で居ました。
正しい、正しくない、で直接答えを示してくれる先輩たちには、しびれるような安心感を感じていました。
それがスパルタでも付いて行きました。(そんなつもりは無かったようなんですが。)
二次障害があろうが発達障害の人権のためにマスメディアに出て行って、実際に行動をしている人もいましたから。
いつか役に立つ人間になって必ず行動のノウハウを教わろうと心に決めていましたから。
ただ、言葉足らず、レス足らずに不満はありましたが。
半端におだてることなく、女としてとか、○○女子とかでなく、“発達障害を持つ人”としてのアイディンティティが持てるようにされたと思います。
進んで、進んで、その進化の先があると思っていました。
無ければ作らなきゃならない、私には教養が無いから、頭が柔らかい、活きがいい若者から最新の知識を得て、応援するのがいい、隠れて籠っていてはそれはできない、とか。血迷ったんですね。
そういうのとかを前提にしていたから、こちらでは間違ったんだと思います。
“これこれが前提だ”と思ったら、私は見直しが利かない。
見直す発想が思いつかない。
これは失敗なんです。みなさんへの、迷惑でした。
すみませんでした。
これからは私も、あ ん ま り 書かない人になります。
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