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▼ここらびさん:
こんばんは。そぐわないかもしれませんが、私が書いてすみません。
私は表現を調節しないときつめになるので、読む人たちの心象が心配なので、メルアドがあればメールを…と思いましたが、こちらに書きます。返信のしようが無かったらスル―していただいてもかまいません。
書かせていただいていいものか迷ったんですが…私も隠れ癇癪持ちASとして、自分を持て余した経緯があったもので、ここらびさん親子が気になっていました。
「えらい?」は私も親に確認したくなった時期がありました。
すでに大人でしたが、診断後でした。
自分でも、すごーいおかしい、異常だという意識は頭の隅にありました。
しかし、医師は飛行機に乗って会いに行く距離におり、いちいち「最近こんな気分なんです!」「こういう考え方が出てくるってどうなんですか?みなさんそうなんですか?そこから次はどこへ向かっていくと合格なんですか?」など、聞ける相手はいませんでした。
常時不安でした。
私は誰と同じなのか。
私はどんなジャンルの何を期待されている一群の人の中にいて、その中での成長速度はどうなのか。上位なのか、劣ってるのろまなのか。
それらの評価や価値はいつ知らせてもらえるのか。どんな成果を出したら合格なのか。
これを教えてくれる責任者が、“私”の管理責任者が、誰も決まっていないことに憤り、それを抑圧し、それで自己嫌悪し、コンディションを落として、私の中の何かの暴走を加速していった気がします。
今でこそ、そんな発達障害の受容速度の全国偏差値みたいなものは存在しないと分かりましたし、私の憤りはアイディンティティ問題じゃないだろうかというところまで、見当を付けられました。私は「えらく」なれなかったんです。
でも、大人でもそこまでいくには年数がかかりましたし、一人で座禅を組んでごにょごにょ思考の循環をしているだけだと、進みませんでした。
当時、人との衝突以外で学べる唯一の方法が、人真似コピーでした。
誰もさせてくれませんでしたが。
発達障害を受容したばかりの人で、周囲の人すべてに良く思ってもらうことに成功して、人間性としても生きるお手本として納得できて、要領とか戦略とかを私の理解力に合わせて説明する能力を持っている人が、私のリアルに必要だと思い込んでいました。
しかし、みなさん迷っていました。みなさん問題も欠点も抱えていました。そしてそういう当事者の実態を客観的に、誰も私に指南できませんでした。
何年も忠実にしがみついて待ちながら、憤りながら、それでも仲間を見ながら勝手に学んで、現実を受け入れることが、私には一番確実でした。
数多くわかったことの一つとして、親って自分たち(当事者)とは別な生き物だ、負荷を掛け過ぎると命にかかわるかもしれないんだと、実感を伴って理解したと思っています。
男の子は、程度に個別差はあるでしょうが、ギャングエイジとかいう仲間を求める欲求も持っていると、机上の勉強では聞いています。
過去よりは支援訓練の方法が進化しているならば、発達障害を持った子の横繋がりを支援してくれる場があってほしいなと思います。
それが仮にひっちゃかめっちゃかだったとしても、それはそれで自分の在り方を定める一助になると思うのです。もちろんその前に、過度な期待を持たせない配慮が必要ですが。そしていい先輩に巡り合えれば、それこそこっちのもので、報酬になる楽しみを用意できます。約束事を作れて、ここらびさんの負担を軽減できるかもしれません。
“何年も忠実にしがみついて待っていた”頃は、息子さんと共通項があるかはわかりませんが、何かのアクションは起こしたくてしょうがなかったです。私が待っていたものに向かって、走り出したかったです。深く、深く、達成感を得られるまで深入り突進したかった。
子どもの頃も、そこはそこで走り出したかった。走り方を誰も教えてくれず、罰を受けて来ました。(息子さんはすごく恵まれています。ここらびさんの努力のたまものです。)大人になって出てきたのは、それを取り返す欲求。もう十分だと、お前は偉いと、誰かに力いっぱい誉められて手綱を引かれるまで、深入りを自力でやり遂げるまぼろしの挑戦…。
私の変わっているところは、人のコミュニケーションが物足りない→じゃあ自分を傷つけて気を引こう、とかいう考え方はしないで、自分から単刀直入(自分なりに)に攻めていくことを覚えたことでした。
上手く言えませんが、これは当事者の中でも変わっているようでした。
自分のそういう欲求の仕組みを理解する助けになったのが、もうご存じでしょうか。やんばる先生の『意味不明な………』ブログでした。
先生は、そういうASのまぼろしの欲求をどうコントロールするかを研究していらっしゃいます。
まほろしの欲求は、危険物です。でも、人間として持っていて当然の、健全な欲求ですが、矛盾していますが、表出してはいけないものです。
表出したら、世界から誰か一人を選びだして支配しなければならなくなります。束縛しなければならなくなります。
でも表出しなければAS自身の健康を害するので、当人にそれを封じることにはすごい困難を伴います。私もとても書き出せないくらいの思考錯誤をしていらっしゃいます。
将来的に、どこにも向けてはいけないまぼろしの対人欲求は、自力で我慢できるようになるか、福祉支援を受けながら問題を起こさないように生きるかの自己決定を、適切な時期に出来るようなプログラムを研究しています。
ここらびさん親子の通院先が、もうお手上げだというお話を読んで、それはないんじゃ……と思っていました。
ASは、相性の合う人間自体が少ないのです。お医者も必ずフィーリングが合うとは限りません。外国に比べ、お医者の選択肢もあるとは思えません。だからお医者同士も連絡を取り合って、選べる体制が必要なんじゃないか……と私は個人的に理想を思っています。
が、やんばる先生も、勤務先を時々移られることがあるので、ご自分のネットワークを作られるまではとても手が回りません。
でも、メール相談を受け付けていらっしゃいます。
プログラムに関するお考えを聞くだけでも、ここらびさんの慰めにならないかなと思いました。
思いつきで過剰に作って来た問題の対処を迫られる毎日が、何年も何年も続くと思いながら全力を尽くすのは、やはり非常におかしいと思います。
この変化が起きてきたら次、あと何年したら次、の目安がある、事例があるだけでも、そういう考え方があると知るだけでも、違うと思うのです。
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