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▼百合奈さん:
>20間近でそれはちょっとどん引きレベルです……。
>でもいるんですよね、現実に。
意外と今時の若者なんて、しかも一部の層に限ればかなり幼いもんです。
まあ、私も「幼稚な人達だなぁ、あんまり関わりたくないなぁ」とは思います。
>我慢を前提にすると
>どうしても比例吸うで耐えるしかなくなるんですよね。
我慢が前提、とありますが「モラルはしっかりあるけど
悪事に突っかからない、見てもストレスをためない定型」も
世の中にはたくさんいますよね。で、そんな人たちはどうして
我慢していない=悪事を目の当たりにすることがストレスになっていない
かといえば、悪事を見ても正義の闘争心・抗議心を燃やすわけではなく
「怒る値打もない、下らない事をする雑魚の事だしどうでもいいや、
そのうち天罰下るぞ〜。」程度で受け流せているんですよ。
百合奈さんの精神衛生(つまらない奴らのためにわざわざイライラしない)
のためにもそういう「スルースキル」を身に着けるのも手だと思います。
>彼らは自分たちがカッコいい
>悪くないいけてると思ってるのなら
>処刑されない限り打ち消すような善行は行わない気がしますよ。
>もちろん、根がいいやつでも、犯罪と善幸は同じ数だけやっても1000と1ぐらいの差があると思うので。
うーん・・・「若気の至り」かもしれないのに処刑されない限り云々は・・・・
只の例えにしろ、ちょっと極端な気がします。それに、同じ数の善行ですら
犯してしまった罪にはもはや敵わない、というのも。
私は仮にその人が将来自分の行いを反省して生き方を変えれば、
それでもう過去の過ちは打ち消されたことになると思っています。
過去は過去としてもう一度やりなおせるチャンスがある、そう
思えるからこそ人は後ろばかりに気を取られ過ぎずに、希望を持って
よりよい生き方をしよう、前を向いて
罪を償おうと思えるもの・・・・・ではないでしょうか?
古今東西の宗教や神話、説話に何故「ゆるし」が出てくるのか、それは
こういう反省、生き方の転換の機会に気付くため。それくらい、一度罪を
犯した人間も反省を持ってそれに勝る生き方ができる、反省やその後の
善行は暗い過去を打ち消せる、というチャンスは、人間にとって
昔から大事な物なんですよ。(特定の宗教を勧めているのではなく
一般的に人間が昔から受け継いできた「過ちを拭いきれない悪と
するのではなく、赦しよりよい自分になれる希望を持つ事の意義」
について話しているので、悪しからずです)
もちろん、その「悪事」が犯罪であるなら法的に罪を償う事も不可欠ですが。
説教臭くてすみませんでした。
おせっかいかもしれませんが考え方が固く鋭すぎて
百合奈さん自身生きにくくないか、心配だったので・・・・
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