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>意外と今時の若者なんて、しかも一部の層に限ればかなり幼いもんです。
>まあ、私も「幼稚な人達だなぁ、あんまり関わりたくないなぁ」とは思います。
私はどうしても同じ価値のある人間としてひとくくりにされたくない
と嫌悪感を抱いちゃいます……。
>のためにもそういう「スルースキル」を身に着けるのも手だと思います。
>うーん・・・「若気の至り」かもしれないのに処刑されない限り云々は・・・・
>只の例えにしろ、ちょっと極端な気がします。それに、同じ数の善行ですら
>犯してしまった罪にはもはや敵わない、というのも。
>私は仮にその人が将来自分の行いを反省して生き方を変えれば、
>それでもう過去の過ちは打ち消されたことになると思っています。
>過去は過去としてもう一度やりなおせるチャンスがある、そう
>思えるからこそ人は後ろばかりに気を取られ過ぎずに、希望を持って
>よりよい生き方をしよう、前を向いて
>罪を償おうと思えるもの・・・・・ではないでしょうか?
>古今東西の宗教や神話、説話に何故「ゆるし」が出てくるのか、それは
>こういう反省、生き方の転換の機会に気付くため。それくらい、一度罪を
>犯した人間も反省を持ってそれに勝る生き方ができる、反省やその後の
>善行は暗い過去を打ち消せる、というチャンスは、人間にとって
>昔から大事な物なんですよ。(特定の宗教を勧めているのではなく
>一般的に人間が昔から受け継いできた「過ちを拭いきれない悪と
>するのではなく、赦しよりよい自分になれる希望を持つ事の意義」
>について話しているので、悪しからずです)
>もちろん、その「悪事」が犯罪であるなら法的に罪を償う事も不可欠ですが。
わけければ許されるわけではないと私は思ってます。
犯罪はむしろ若いからこそ捕まるものも多いですし
そう言うのは保護者ひっくるめみせしめになるべきとさえ思います。
そういう人たちのせいで、若者の評価が下がるのがすごく腹正しくく、
憎く感じてしまうんです。
自分たちは楽しいだろうけれど、
他の真面目に生きてる人はとばっちりをくらいながら耐えたのだから
たとえ靴の裏を舐めたって対等にはなれないと思うんです。
>説教臭くてすみませんでした。
>おせっかいかもしれませんが考え方が固く鋭すぎて
>百合奈さん自身生きにくくないか、心配だったので・・・・
生きにくいです。
むしろ、そういう人たちと同じ人間であることに気持ち悪さを感じて
人間であることを辞めたくなってしまいます。
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