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▼百合奈さん:
>私はどうしても同じ価値のある人間としてひとくくりにされたくない
>と嫌悪感を抱いちゃいます……。
「同じ価値がある」人間ではありませんよ。軽犯罪や非行をする人たちは
人間ではありますが取るに足らない、いわゆる「三下、雑魚」なんです。
もっと言ってしまえば猿のような原始的な人間なんです。
アスペらしい正義感でみた場合だけでなく、世間からもそう思われているで
しょうし、ひとくくりにされているとは思わなくていいと思いますよ。
>わけければ許されるわけではないと私は思ってます。
>犯罪はむしろ若いからこそ捕まるものも多いですし
>そう言うのは保護者ひっくるめみせしめになるべきとさえ思います。
>そういう人たちのせいで、若者の評価が下がるのがすごく腹正しくく、
>憎く感じてしまうんです。
>自分たちは楽しいだろうけれど、
>他の真面目に生きてる人はとばっちりをくらいながら耐えたのだから
>たとえ靴の裏を舐めたって対等にはなれないと思うんです。
ん?勘違いさせてしまったならごめんなさい、「無条件で償いや逮捕なしに
許してもいい、見逃してもいい」とは思っていませんよ。
ちゃんと捕まって、償うべき罪を償って、死ぬ思いで涙を流して反省して
その上でまた生き直す事について言及させて頂いたのですが・・・・
言葉足らずで申し訳ありませんでした。
若者の評価については大人たちも「しょうもない若者」と「真っ当な若者」
の区別位はついているでしょうし、そんなに心配しなくても大丈夫かと
思います。警察のお世話になった時点で地域では見せしめになったも同然ですし。
耐えた真面目な人のために一生十字架を背負え、というのも違う気がします。
(確かに自分の失敗を心に留めておくのは大事ですが、いつまでも自分は
穢れている、一生悪人のままだと思わなければならないというのは少々
残酷な気がするのです―その考えが社会に通用してしまった場合、やり直して
社会の一員になれる、という社会的な救済システムや倫理観が崩れてしまい、刑務所はパンク状態、「情状酌量」なんて言葉は絶滅、という社会の崩壊・『正義によるディストピア』の完成・・・という事態になりかねませんし。)
>生きにくいです。
>むしろ、そういう人たちと同じ人間であることに気持ち悪さを感じて
>人間であることを辞めたくなってしまいます。
そこまで悪い人を下に見ているなら「そんな雑魚について考えることで
時間を割くのがもったいない、あいつらのことは考えずに『私は私』で
マイペースに真っ当に生きよう」とは思えませんか・・・?
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