アスペルガーの館の掲示板

[ ホーム | 趣味の掲示板 | 旧掲示板 ]

※この掲示板は終了しました。閲覧のみ可能です。
※医療や福祉の支援を必要とするときは、発達障害者支援センターに問い合わせください。

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃検索 ┃設定  
330 / 5056 ツリー ←次へ | 前へ→

[#40195] パブリックコメント提出済みですが、よかったら添削してください。 とりあたまオバサン 13/1/13(日) 2:17 [未読]

[#40254] Re:パブリックコメント提出済みですが、よ... ウォルフル 13/1/26(土) 11:45 [未読]
[#40321] Re:パブリックコメント提出済みですが、よ... とりあたまオバサン 13/2/1(金) 18:35 [未読]
[#40337] Re:パブリックコメント提出済みですが、よ... ウォルフル 13/2/2(土) 23:14 [未読]

[#40254] Re:パブリックコメント提出済みですが、よかったら添削してください。
 ウォルフル  - 13/1/26(土) 11:45 -

引用なし
パスワード
   >>とりあたまオバサンさんこんにちは。

>人権が存在するならば、人権と自己正当化の線引きも本当は第三者の手で用意されるべきで、そこからやっと、人権が具体的に使える形で存在することになると思うんですよね。

人権という言葉は近代に入ってからできたものであって、それ以前はなかったんですね。なかったから私達が人権侵害と思うような行為であってもそれが「不正」だとは誰も考えなかった。ただ力の弱い者と強い者の関係がはっきりとしていただけなのだと思います。

人権とは存在するものではなく、信じられるものだと思います。信じることによって、あたかそういものが存在しているかの様に私達は振る舞います。だから信仰の問題です。キリスト教が教会権力の統治下にあったように、人権も国家権力のもとに宣言され、守られています。そして私達は国家権力というものを信仰しています。国家権力は弱い側に付くので、そこで強者と弱い側の力関係は同じになります。人間は平等であるという考え方も私は信じています。

子供にも権利があるという考え方は比較的新しいです。もともと子供は家庭の経済を支えるために強制労働をさせられていたもので、誰もそれが人権侵害だとは言い出しませんでした。ところが子供の人権というものが西洋で考えられるようになると、教会の支援の元に学校が出来ました。学校とはもともと子供に勉強させる場ではなくて、辛い現実世界から子供を退避させる目的としてまず機能し、次いで現実世界で賢く強く生きていくための力を養うという付加価値が考えられるようになったのです。

障害者の権利となるともっと新しいです。発達障害の権利ともなるとここ数年でやっと注目されるようになった事案で、やっぱり権利の成立の歴史から見ると、私達の「権利」という事になるとまず国家の憲法に基づく宣言から、という事になりそうです。

>とても分かりやすい説明、ありがとうございます。ASへの説明のご経験を積んでいらっしゃるのでしょうか。

自分が納得出来る考え方を自分にとって一番分かりやすい言葉で説明する、っていう意識的な訓練はしてますけど、他人にとって分かりやすい言葉とかると全くといっていいほど考えていません。

[#40321] Re:パブリックコメント提出済みですが、よかったら添削してください。
 とりあたまオバサン  - 13/2/1(金) 18:35 -

引用なし
パスワード
   ▼ウォルフルさん:
>人権という言葉は近代に入ってからできたものであって、それ以前はなかったんですね。なかったから私達が人権侵害と思うような行為であってもそれが「不正」だとは誰も考えなかった。ただ力の弱い者と強い者の関係がはっきりとしていただけなのだと思います。

ADHDの中の一群の、利益追求欲の強い人たちが、のし上がって生きやすかった時代ですね。

>人権とは存在するものではなく、信じられるものだと思います。信じることによって、あたかそういものが存在しているかの様に私達は振る舞います。だから信仰の問題です。キリスト教が教会権力の統治下にあったように、人権も国家権力のもとに宣言され、守られています。そして私達は国家権力というものを信仰しています。国家権力は弱い側に付くので、そこで強者と弱い側の力関係は同じになります。人間は平等であるという考え方も私は信じています。

人間は平等に生きるように進化したがっている、進化欲求みたいなものがある、それを信じている、ということでしょうか。
教養が無いので、“倫理”や“進化論”のほうは、弱いです。恥ずかしながら他にも弱い所いっぱいあります。

>教会の支援の元に学校が出来ました。学校とはもともと子供に勉強させる場ではなくて、辛い現実世界から子供を退避させる目的としてまず機能し、次いで現実世界で賢く強く生きていくための力を養うという付加価値が考えられるようになったのです。
>障害者の権利となるともっと新しいです。発達障害の権利ともなるとここ数年でやっと注目されるようになった事案で、やっぱり権利の成立の歴史から見ると、私達の「権利」という事になるとまず国家の憲法に基づく宣言から、という事になりそうです。

客観的な分析、ありがとうございます。

インターネットの出現で、文明の進化は加速度が付いた、という論もネットの中で見たことがあります。
(いなか者にとっては、不安定な時に、そんなの都会人の中で勝手にやっててくれい!けっ!と思うこともありますが。)
人類の進化のスピードって、あげようと思えばどこまであげられるんでしょうねー。

でも、ウォルフルさんのプロフィールは詳しく存じませんが(書かなくていいですよ。)お子さんを持つ父親の身だったとしたら、やっぱり早く社会が変わって欲しいというお気持ちも存在するのではないでしょうか。
今は問題ない子だったとしても、成長過程で問題が出てきたら、支援してもらえるのか、もらえないのか、ハラハラしなくてはならなくなるのではないでしょうか。
親って、辛そうですね。
ASは特に矛盾が嫌いなのに、自己矛盾と向かい合わなくてはならなくなる。

>自分が納得出来る考え方を自分にとって一番分かりやすい言葉で説明する、っていう意識的な訓練はしてますけど、他人にとって分かりやすい言葉とかると全くといっていいほど考えていません。

他人にとってわかりやすい言葉なんて、難しいですよね!
私の理想は「私の話わかります?」って聞き返して、「わかる」か「わからないか」がちゃんと返ってくる会話を、ネットだけでなく、現実でもゆったりやりたいことです。
ゆったりすることで嫌がられて距離を置かれるのではなく、ずっと続く人間関係の中でやりたいです。

>日本社会全体がそういうことになっちゃってるんだと思います。損得や利益があるかないかのベクトル、つまり経済優先で物事が決められているのです。これは政治家のみならず、日本全体がそういう考え方に毒されている。毒されている人間を説得するには更に毒を盛るより仕方ありません。

私の話、きついきついと評価される危険をはらんでいますが、人生が掛かっている問題だと思うので、その危機感を肯定していただいた気が勝手にしました。
ありがとうございます。
こういう言葉をネットで読みたかったです。

>人間の権利保証も損得のベクトルで考えると税金と手間暇がかかるばかりで損ってことになります。損だから後回しにされ日本では先進国のなかでも一番福祉が遅れているのです。
>ニート問題ももっぱら日本経済にとっての損得の勘定のみで語られ、ニートが直面している苦しい現実よりも、家庭経済の足を引っ張っている事ばかり注目されます。
>このまま日本社会が突き進めばどこかで必ず破綻すると思います。「急がば回れ」です。利益だけを追求する事が必ずしも日本社会にとっての利益にならないという事を少しでも考えて欲しいものです。
>お寒い中丁寧なお返信感謝です。

日本は、細部によっては優秀なんですよね…。
技術だけ、とか。特定の製品だけ、とか。
ただそれで、弱者の人たちも一緒に助かるシステムになっていないのが、欠点なんでしょうね。
能力的な弱者、経済的弱者、社会的弱者などの人たちに、国の利益が何も響かないシステムだから、私のような末端が国際情報なんぞにも興味関心をいだかず、URLリンクを目の前に出されたとしてもスル―して走り去っていく。
二極化した国民と国民がお互いをスル―しているようですね。
そして弱者は日に日に衰弱していく。
そんな極端な国であることが、国際的に恥ずかしいことになる日は、来るんでしょうかね……。

ありがとうございます。

[#40337] Re:パブリックコメント提出済みですが、よかったら添削してください。
 ウォルフル  - 13/2/2(土) 23:14 -

引用なし
パスワード
   とりあたまオバサンこんばんは。

>人間は平等に生きるように進化したがっている、進化欲求みたいなものがある、それを信じている、ということでしょうか。
>インターネットの出現で、文明の進化は加速度が付いた、という論もネットの中で見たことがあります。
>日本は、細部によっては優秀なんですよね…。技術だけ、とか。特定の製品だけ、とか。ただそれで、弱者の人たちも一緒に助かるシステムになっていないのが、欠点なんでしょうね。

日本には将来こうなりたいっていうヴィジョン、平たく言えば夢がないんですね、目標がない。目指や理想を見失えば、今日の自分は昨日よりどれくらい「進歩」したのか、明日の社会は今日よりどれくらい「進歩」したのかがわからなくなります。良くなっているのか、悪くなっているのか誰にもわからない。そうして比較の尺度を失うと、結局のところ、全てが同じものに見えてしまうようになります。昨日も今日も明日も同じことの続きです。言わば「今日」が無限に反復されていくようなものです。確たる価値観を失ってニヒリズム化しまっている以上、その成果を評価する尺度が無いのです。だから日本ではGDPとか技術だとか経済だとか数値として比較化可能な部分的な分野のみが国家成長戦略として「進化発展するぞ!」ていう話になっちゃうわけで。(教育熱心な母親もテストや成績の出来がどうのこうのでしか子供の成長過程追えなくなってきているでしょ?)人間の実存についてだとか、幸福についてだとか、人間社会だとか、家族についてだとかそういった数値化できないところはスルーなんですよね。価値観を見失ってるから議論の叩き台となるべきものを何一つ持っていないというか,,,

>成長過程で問題が出てきたら、ハラハラしなくてはならなくなるのではないでしょうか。親って、辛そうですね。

発達障害の子供って親からしてみれば「社会で上手く適応して欲しい」っていう切実な目標がある分、子供の成長過程を実感できるんですよ。実感出来るから親としての責任とか喜びとかも一緒に芽生えくる。大変だけどね。そんな風には思いますけど私には子供、いません。

字数制限でこれ以上は書けませんでした。ありがとうございました。

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃検索 ┃設定  
330 / 5056 ツリー ←次へ | 前へ→
ページ:  ┃  記事番号:   
1878015
(SS)C-BOARD v3.8.1β4 is Free.