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▼百合奈さん:
>妨害行為を働くような子の愚痴を友人にしたら
>「同じ障害者なんだから理解してあげなよ」
>と言われてすごくつらかったです。
>
>学生でも、社会人でも
>お金もらってる相手でない以上
>ただの友人関係は「障害者の仲間たち」とかそんな変なくくりじゃなく
>「友達」になりたい人とつきあって、
>その人に障害があればそれを理解する、程度でいたいんですが
>世間の人は結構偏見的に「仲間」なんだからというアピールをして
>仲良くしなさいと言ってきたりします。
>(むしろ同じ障害同士の人のほうが相性重視なきがするほどに)
私は百合奈さんの考え方に同感ですよ〜
定型同士は性格の相性があるのに障害者同士にそれが無いというのに
疑問を感じます。
性格の個人差は定型だけじゃありません。
定型は性格が合う,合わないで友達を選ぶのに
障害者だと自分と性格が合う人を選ぶことが許されないのかなぁと思います。
これ個人の価値観の問題で差別じゃないです。
人として相手の障害へ配慮する必要性は理解できるけど・・
>差別だ差別だ!っていいながら
>他人に「障害者」というレッテルで勝手に仲良くできる、同じカテゴリと
>まとめちゃう方が差別ですよね……。
>障害者だろうが相性ってものがあるわけで。
>同じ病気だから障害だからで皆友達!なんて、
>とてもじゃないけどファンタジー世界でも無理です。
昔,知人から当事者同士ならお互い理解できるから
仲良くしやすいんじゃない?と言われたとき
「空気読めない者同士で第三者の介入無しで
どうやってコミュニケーションを取るの?
仮にAS同士の場合,お互いに話す気があったとしても内容によっては
理解しづらい話もあるし即,仲良くなれるわけじゃないと思う。
定型は相手の表情やしぐさでそういう判断ができるかもしれないけど
特性が強い当事者ほど会話を成立させるのはお互いに至難の技だと思うよ」と言ったことがあります。
どんな人でも仲良くなるときは相手の性格をそれなりに理解しての場合が多いから
定型側の障害者同士なんだから仲良くしろ,の発想は当事者への配慮を欠いた発想に見えました。
ASの特性を理解できてる方は,そういうことが言えないと思います。
当事者の拘りは人それぞれ。
最初にそこをお互いに理解できなきゃ,お互いに親しくなりたいという思いが
湧かない気がします。
>「恐怖」の場合
>どうしたらいいんでしょう。
>迫られたり、対峙するとにこにこしちゃうんです。
恐怖の種類は多いので何に関しての恐怖なのかが知りたいです。
周囲から誤解される恐怖なら,あえて私は当事者としてできる範囲を定型へ
拙くても伝える努力をします。
差別されてる,と相手から誤解される恐怖なら
自分にできる範囲で会話して,定型がよく使う
やんわりと相手の要求を断りながら相手と疎遠になる努力をします。
百合奈さんが感じる恐怖の内容はどんなことですか?
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