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▼aikidonottatujinさん:
> こういう文によるコミュニケーションも相手の真意が伝わらなかったり、適切ではない言葉を使ったりしてしまうことがあるんですよ。自分ではきづいていなかったのですが、話し言葉で、相手を不快にさせることもあったようです。
解かります。分かります。母国語に限らず言葉って、難しいですよ。
『文の組み立て』って部分はプログラム言語と同じようなルールが
あるけれど(つまり「文法」ですね)、話し言葉となると…
プログラム言語ならコンパイラで OS ごとの差を吸収出来るけど、
話し言葉は、受け取る相手によって「コンパイル」(翻訳…つまり解釈)
されちゃうんで、プログラム言語以上にデリケートなんですよね、
自然言語ってものは。
でも、nobody knows さんと aikidonottatujin さんの仰る事、
解りますね。「その場には一緒に居る」という事実は間違いでは
ないのに、言い知れない疎外感が消えない事の苦痛は、そうそう
理解されませんでしたから…。説明も、大変に難しいんですよね。
紅茶を知らない人にそれを説明する時、もしもその人達が
「喫茶」という習慣や文化を持っていなかったら、どれだけ
説明して理解してもらっても博物学的な了解しか得られないのと
…似てるんじゃないかと思います。
(誤解の無いように書いておくと、これは知的に高いとか低いとか
いう問題では無いです。体験や経験の問題でしかないですから)
▼nobody knowsさん:
>自分は人の心が分かるという妄想みたいなことを小さい頃、ずっと思っていました。
>人の表情を見て、「ああ、今この人は今こう思っているに違いない」と。
>それがうまくいくときもあり、結局損することもあり。
私も思ってました。まったく nobody knows さんと良く似た状態で
した。(^^;)
同じく、損をする事も多かったですねえ。今にして思えば、私の反応
(対応)がその人の機嫌に対して不味かったんでしょうけど。
ただ、私の場合その後、あえて接客業に就いて、
コミュニケーション能力を改善しようと努めました。
…結果、まぁ確かにコミュニケーション能力に関しては類稀なものを
獲得できたようですが…就職としては大失敗に終わりましたが(オイ)
確かに、人の心というものは本人の行動の様々なところに出るんで
勉強して経験を積むとある程度は読めるようになると思います。
例えば私は(恐縮ですが)、相手の声のトーンから心を聞き取ったり
します。(ちょっとオーバーな書き方だな…) いえ、音声学でいう
「プロソディー」に近いものです。ただ、相手の「心」というよりも
あくまで「精神」の状態という捉え方しか出来ません。物語に出てくる
「読心術」のような、思ってる事を読むような事など、有り得ません
からね。むしろ、精神を「脳内の現象」という捉え方こそ前提となり
ます。(心理学を勉強してたんでその点は善かったようです)
ただ、声から聞き取るにせよ、目の動きや指先の動き、体の向きなど
から読みとるにしても、コミュニケーション能力として重要なのは
その先なんですよね。(^^;) つまり、「どう対応するか」な訳で、
そこが AS のかたにとって高いハードルなんですよね。先の“紅茶”
の例えの通り、ある経験(体験・体感)が抜けてるからなんですが。
ですんで、この点をいかに「理知的に」理解するかがポイントで
あろうと思うんです。
ひとつ、コミュニケーションの上で大事は技術はありますね。
「礼儀作法」です。私は生まれた家が(その土地の中で)ちょっと
特殊だったので、幼い頃から行儀作法はみっちりしこまれました。
ただ、それをすると回りの大人が皆よろこんでくれたため
“それは大変良い事だ”としっかり刷り込まれ、身に付いたようです。
姿勢や立ち居振る舞い、言葉遣いで「ある程度は」未然に防げる
トラブルも多い事が、今となってよく理解できます。
ま、その「立ち居振る舞い」だって言ってみればペルソナですから
ね。
ですんで、そういった点に気をつければ、接客業をする事だって
不可能ではない…とは思います。(もちろん個人差が大きいですから
頭から信じないでくださいね)
でも、同僚には…恵まれないですねえ。うーん、上司と同僚には
どうも恵まれないです。(T_T)
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