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▼みつまめねこさん:
こんにちは、ユーンです。
みつまめねこさんの悩みを、私はこんな風に解釈しました。
1.
>いまだに自分の中のASを好きになれなくてちょっと悩んでます…
>自分の中のAS要素を・・そこまで大事に思えない
2.
>そしてAS者の多くがASを文化だ、受け止めて好きでいるほうが良いことだと主張・(してるのに、好きになれない)こんな自分に罪悪感や疑問を感じてしまいます。
3.
>自閉らしさになじめず抵抗やコンプレックスを感じてしまう、どうしても違和感を
>覚えてしまう自分はASとして何かおかしいのか、と…。
1.について
みつまめねこさんは、今不便を感じていらっしゃらないのですよね。
日常が不自由でなければ、自分の中のAS要素が気にならないのは別に当たり前だと思います。取り立てて好きになる必要性はないと思いますが。
2.について
現状ではASは劣ったもの、不良品のような扱いを受けています。
ですから著名人方はその様に主張されて、ASについて正当な扱いを求めていると私は感じます。(絵画は文化だって主張する人なんていません。一つの文化様式として認知されていますものね。ASは正当に認知されていない・・)
要するにこれは、世間に向けての主張なんです。
ASの個人個人が、ASを好きでなくちゃいけないなんて言ってないんです。
好きか嫌いかは、個人の自由です。
自分の気持ちを縛ることは誰にも出来ないです。
3.について
ASは連続体の一部だって、みつまめねこさんもご自分で言ってますよね。
みつまめねこさんが思う「自閉症らしさ」、みつまめねこさんが出会ったASの方々に、たまたま違和感を感じるだけなんじゃないかと思います。
私もテンプル・グランディンの本を読んで感動しましたが、参考にならないし違和感を感じました。ニキリンコさんの本は読んでませんがきっと同じ感想だと思います。
この掲示板でも、私にとって違和感がある書き方の方はいらっしゃいます。
連続体の一部だからって、ASの方すべてにシンパシーを感じる必要はないでしょう。
「自閉らしさになじめず」は「自分にとってAS的な考え方や生き方がしっくり来ない」ということですね。
みつまめねこさんが思う「自閉症らしさ」がなんであるか。
みつまめねこさんの「自分の中のAS」は何であるか。
この二つが齟齬を来たしてるんだと思います。
ASはまだまだ解明されてません。
「自閉症らしさ」もどんどん変わっていくでしょう。
従来の「自閉症らしさ」に違和感があるなら、
みつまめねこさんがみつまめねこさんらしい、新しいAS的な考え方や生き方を創り上げればいいじゃないでしょうか。
ASや定型などと言葉に囚われないで、自分らしく生きてください。
>唐突ですが、皆さんは自分が持っている特性や「ASであること」を
>好きだったり、またそれらに愛着を持っていますか
私は自分に愛着があります。
ですからASの特性は、女性であること位の愛着があるともいえるし、身に付いてるので気にならないとも言えます。
とは言え趣味のスレで、幼い頃に編み物をしていて最初は楽しかったのに、夢中になって止まらなくて、泣きながら最後まで編んだのを思い出しました。
最近では、初めて自分専用のPCを手に入れた時に付属のゲームを毎日3時間位、数ヶ月やりました。楽しくないのにです。止められなくなっちゃうんです。
ASの特性の過集中が私にはこんな形で出るので、ギャンブルやゲームには手を出さないようにしてます。
ゲームを楽しんでる人が羨ましいです。
自分の特性を知っておくと自分をコントロールできますね。
私はこんな風にASと付き合っています。
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