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▼レモン蒸しパンさん:
>そうです。発達障害の大人たちの多くが受けているのは、集団により自然発生的に決定した暗黙の仲間外れです。
>時代は残業の削減に向かって対策を立て始めています。
>効率を上げるためにはどこから削るか。雑談、それも生産につながらない会話から削っていけば、私たちのように、繰り返しの説明や、フォロー、「いつもいつもどうもどうも」「いえいえ気にしないで」的な、くどくどペコペコした会話が必要な戦力外は、皆と同じお金をもらっている邪魔者になり下がります。
でも同時に時代は障害者を認める方向にも進んでいますよね?
それなら、そこまで困り感を持っていてなおかつ診断済みの方は
そんな目には合わないんじゃないかなぁ…と思います。
自分にとってある意味どうでもいい存在である同僚から暗にどう思われたって
会社とは別の所で自分を理解してくれる友人がいればなにも「諦め」
「罰」なんて思考経路を通らなくててもいいんじゃないでしょうか…?
怒りを態度に出したりや100%相手を悪とするのは良くないですが、
罰というのもまた極端というか。まだ未来に希望を持っている私からすれば
「5割くらいなら自分を庇っても、部分的に頭の中だけでなら正当化しても
いいんじゃない?」と思ってしまうのです…
「ふふん、会社での自分なんてお金をもらうための世を忍ぶ仮の姿なのよ!
本当の自分はこっちなんだから!そりゃいけなかったところは改善するけど
心までは縛られないわよ!」くらいの気概がないと、反省と羞恥に
呑み込まれて手も足も出なくなってしまいます。少なくとも私の場合は。
諦めたり無私に帰るのではなく発奮したり自分をある意味言い訳で
許してあげて、でも悪かった面は今度から直すよう自覚して。
それでこそ頑張れる。そうじゃないですか?
>“罰”という極論の発想は、ネットだけから影響されたわけではないんです。
???私は別にネットから影響を受けられたと考えたわけでは
ありませんよ。ちょっとそれは違うんじゃないかな、と思っただけで。
>しかし、大人になる時に一般の空気として皆がやっていることは、自分の意志に反することでも、しなければならないことなら仕方無く、やる。でもその状況を過度に負担に感じたり、トラウマに感じたり、怨みに思うことまではしない。
>そういう、私から見たら、少々(かな?)ちぐはぐなことをできているんです。
>ねえ報酬とか賞賛とか要らないの!?(笑)無くても、うつにもならず、友達とも遊んでやり過ごせてしまうんです。
…ごめんなさい、私はそれが「普通の事」「まあ人間
そんなもの、そんなノリで空気に合わせてやることやっといて
楽しみはプライベートの時間にあれば別にいいや」って感じてるので
この辺りはよくわからないです…
だから、
>を習慣にしていたら、大人の世界では、自制という戦いに負けるんです。
というのも正直、不思議に思ってしまいました(ゴメンナサイ!)
え?プライベートで発散してるんだしもやもやは友人に聞いてもらったりして
晴れるからいいじゃない!…って。
まあ私も、定型の方も大きな悩みや個人的な葛藤がある時は
そうはいかないですけどね。
多くのASの方はレモン蒸しパンさんのように考えがちなのでしょうか?
>なんか母親みたいですねー。悲しい観点で見てくれるのは、母親に近い観点に思えます。
>母性が強いんですか・・・?^u^
>今から悲しみ過ぎると、社会に出た時もっと悲しみが止まらなくなりますよー。いっそ出家・・・とか、思いつめないでくださいね・・・。
>貴女がオキシトシン(庇護する幸せを感じるホルモン)を使うにふさわしい人間は、きっとちゃんと存在すると思うのです・・・。
母性…ほど立派なのかは分かりませんが、私にはできない人の辛さも
できる人の驕りも、できているつもりができていない人の未熟さも
全部分かるのでついついそのうちのどれかで苦しんでいる人がいると
手を差し伸べたくなるのです(ある意味、これも驕りかも…w)。
そこまでは思い詰めませんよー。大丈夫ですよー!
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