アスペルガーの館の掲示板

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[#40644] 親の覚悟 疲労困憊。 13/3/20(水) 11:34 [未読]

[#41785] レス1 レモン蒸しパン 13/8/13(火) 15:05 [未読]
[#41786] レス2 レモン蒸しパン 13/8/13(火) 15:06 [未読]

[#41785] レス1
 レモン蒸しパン  - 13/8/13(火) 15:05 -

引用なし
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   ▼疲労困憊さん:
心配していました。

>急に何か不安が襲い掛かり、やめると言ってるだけなのか、
>また、違う日になれば、やめなきゃよかったと言い出すのか・・・
>赤点回避もすごく喜んでいたんです。

気分障害の症状(症状だけ。かかっているのとは違うと思います。)は、まだ続いているんですね。

私の憶測ですが、疲労困憊さんは、ここのみなさんの言うことは、とても理解してらっしゃるような気がします。
言うことを、聞けるものなら聞きたくて、聞きたくて、しょうがないのでしょう。

でも息子さん本人が、母親以外にも心から言うことを聞いてしまう人、従順に心から振り回されてしまう人を何人も作ってしまっているので、その混乱をそのまま母親の前に持ちこんでしまい、暴れることで、その混乱の収拾を付けさせようと、母親をコントロールしようとしてしまっているように見えます。
(この憶測で合っているかいないかは分かりませんが。)
息子さんの生活圏内の矛盾なので、母親に何か介入できるわけ、ありませんよね。
例え暴れても、物を投げても…
(これも母親に当たる可能性のある投げ方をしていたら、暴力です。本人の意志に、母親への暴力をしたくないという固い意志があるならなおさら、解離という病的症状に近い危険レベル、依存心を抑制するストレスの反動を、自制心では押さえられないレベルであるような危険を感じます。)
…母親に、自分の高校生活に介入させることには、限界があります。

だから、疲労困憊さんは、無理なことを息子さんから求められているわけですので、息子さんの悩みの解決に向けて、何かスモールステップに細分化したり、妥協案を提案したり、聞き取りして受容したり答えを示してみるなどする段階を、今、一歩も踏めないでいるわけですよね?

だから、みなさんの言うことを実行するところまで、現状はたどり着けなくなっちゃっているということなんですよね?

世は夏休みですよね。もしやお互い煮詰まっていらっしゃるんじゃないかと、心配していました。

私達、成人の発達障害たちが、こんな掲示板を使ったり、人によっては匿名掲示板やツイッター、SNS、ブログ、ラインなどを使い、なおかつ医師やカウンセラーや当事者組織の当事者の人と会ったりして、それでも大人の自制心を利かさなきゃならない嫌な場面も克服しながら、やっと、やっとこさ、晴らしている憂さがある。大人もめんどくさい思いして晴らしている、生きるストレスがあります。

このストレスは、息子さんはまだ晴らし方を知らないし、そもそも若いからストレスの全体像も分かっちゃいないと思うんです。

家族、友達、仲良くもないその他大勢の生徒たち(男の子って仲良くもない存在にも格好を付けたい欲求が潜在的にあるらしいですよね。近い人にとってはこれがうっとおしく見えることもありますよね。)、先生たちに、無限に従いたい気持と、放っておいて欲しい気持が、混在してる可能性がありますが、混在してることも、もしかすると分かっちゃいないのかもしれません。
だからだれかが片方だけを取り出して肯定してあげても、無限に否定したくなってたまらないかとお察ししますね…。
そして、片方だけ、50%だけ否定されてるなんて分かっていないまま、「お母さんはボクの全部を分かっていない!」と、その場の気分で絶望した動きを取りたくなってしまうのではないでしょうか。

つまり、息子さんも、自分を分かっちゃいないんです。
自分を分かっちゃいない場合、息子さんが、まわりをうまくやり過ごしながら、自分で“自分”を持って、自我をコントロールしながら勉強して自分を伸ばす、なんて、無理そうだと思います。
心理学では、自我をコントロールする心の働きが、何かあります。名前付いています。『超自我』だったかなー。
母親が、疲労困憊さんが、息子さんの『超自我』の代わりはできません。
幼児なら代わりはできますが、もう自我の出てきた年頃ですから。

>フォローと甘やかしの区別がわかりません。

こうなるのも無理は無いと思います。
うまく書けませんが、これが、かなり答えに近いと思います。
息子さんは自分を分かっちゃいない。
だから鏡代わり(迷惑ですよね。私も鏡が欲しくて耐えられなかった時期がありました。でも助けを求めた多くの人に迷惑がられ拒否されました。)の母親にも、自分の自分像を的確に伝えられない。
伝達能力が幼児並みのまま、高校生のストレスとASの人間関係のストレスを、抱えたまま地団太を踏んでいると思われます。

私の意見になりますが、小さくても目的が持てたら、手助けはフォローになると思います。
“自分”も“目的”を持つことも、本人だけでなく、疲労困憊さんも放棄して、考えることから止めてしまい、かつお金を与えたり、後始末をしたり、本人を心配する人間の声を取り次がなかったり、まるで使用人のように言うことを聞く状態になったら、それは甘やかしだと思います。

私も書きながら私の意見を整理しているような状態ですが……
“自分”の持たせ方が分からない、だから探している、“目的”の持たせ方が分からない、だから探している状態なので、今は、甘やかしではないと思います。

>自分ではもう、わかりません。

こう書きこんでいらっしゃる行動で、方向を探しているので、疲労困憊さんの日々の努力はフォローだと、私は思います。

言葉が足りないところがあったら、ごめんなさい。適当に脳内補充しながらお読みくださればと思います。

息子さんは、高校を出ることで、自分のキャリアにどんな価値が出るのか、自分にどんな能力がアップされるのかも、具体的に想像できない。

私も、そんなようなものでした。

息子さんもそうだとしたら、ご家族や学校で教えるのは無理そうです。
普通の子は、そんなもの分からなくても高校に通えてしまうんです。私に乱暴に言わせてしまえば、普通の子もわけが分からない生き物ですよ。

息子さんは、分からないことで、高校に通えない、スムーズには通えない。

目的や目標設定が理解できないわけではないと思うのです。それに向かって努力する能力はあると思われます。

人から与えられた目標、しか知らない。自分で目標を持ったことが無い、ために、動機づけの路頭に迷っているとしたら。

自己理解のまだ不安定なASにとっては、一日、紙芝居のように、言うことを聞く[ご主人様]とか[ボス]にする存在が替わるようなものでしょう。
起きる時には母親、外へ出たら外の人(格好を付けて見せる対象)、学校に入ったら先生、休み時間には友達、その他大勢の男女の生徒、帰る時にはまたたくさんの外の人たち。
入れ替わり、立ち替わり、(当人たちにそんな気は無くても)自分に言うことを聞かせようとする人たち。
自分を見下して、従わせようとするように見える人たち。人、人、人…。

漠然としたコンプレックスの克服には、利害関係の無い人とのおしゃべりが一番いいと思うんですが、なんせ発達障害は、関係に主従関係や上下関係が無いと、どうしていいかさっぱり分からなくなるところがありますからねー。

>学校の三者面談では「頑張る」と言いながらも何もしませんと言うかできません。

そうですね。「頑張る」と言わないと、場がおさまらなかったら、その“場”に従順になりたいものですよ。
しかも、口だけ動かして言うんじゃなくて、心から言っちゃうんだとしたら、すごい純情なんですよ。
怒られてもいいくらい純情!

つづきしますね。

[#41786] レス2
 レモン蒸しパン  - 13/8/13(火) 15:06 -

引用なし
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   >社会人ならば休職レベルの欝だと言われました。

“休み”のニーズはあるんですね。

>ただ、友だちとは旅行に行かれました。

機械的な言い方ですみませんが[ボス]が、ずーっと安定して決まっていることで、紙芝居のような、くるくる変わる重圧は受けないで居られるのかもしれません。

友だちは、自分に成長とか、鍛練とか、自己抑制とか、求めないものなんですよね…。

一般的な男性って、うるさく言わない。指示だけ。結論だけ。時には自分の都合だけ。依存とか面倒なことをしてきたら、黙って離れるとか、関心のある放置をするとかが言われています。
(私のされたいケアとは真逆!だから一人者オバサン化しています)
(父子家庭とかで、こういう言葉を介しないコミュニケーションばっかりに慣れると、成人してから対等な女性とのコミュニケーションが分からなくて大失敗する事例はあるらしいです。でも基礎的な社会性と人間性ができていれば、職場で大特訓を受けて覚えていけます。)
(ちなみに指示、結論、離れる、の三つの他に、ほめないとダメなのはダウン症の子の特徴らしいのです。ダウン症じゃない男子で、ほめなくても事足りるというパーソナリティーがある子もいるのかもしれませんが、女親にとっては、愛しい息子をほめないなんて選択肢は、きっとあり得ないし、辛いものなんでしょうね)

ネットによっては、[ボス]を[愛着対象]という言い方をして書く人もいます。
ただこの[愛着対象]が果たす役割もほんとーにいっぱいで、複雑(私の文章能力を超えるくらいには複雑。)なので、私が自分の頭で考える時には、ペットと飼い主(乱暴な思考でごめんなさいね。)くらいの関係から、それこそ親子くらいの関係の幅で、深さや、責任の重さを考えたりします。

話を戻します。
ASにものを教える時は、自分の実感が難しいので、まわりが動く、という手法がありますよね。

それは、世話をするのとは違うと思うんです。
うまく言えませんが。

前に、当事者の、療育を受けた経験者の先輩を探しては、と提案させていただきましたよね。
それは疲労困憊さんが[愛着対象]の役割の中でも、暴力や振り回し、束縛を受ける役割を引き受けさせられてしまっていて、息子さんの中でも母親がそういう役割に設定されてしまう危険があったので、[愛着]の矛先を変えて、[ボス]を作ってはどうかということを考えたんです。

母親は、家の中がお屋敷のように広くない限り、意志が無くても子どもと密着した関係を設定されてしまいます。
でも疲労困憊さんには、密着されて依存される意志は無いんです。
だから、息子さんの[愛着]のエネルギーだけ変えて、暴力も、束縛も、通用しない相手に向けさせる、お手本出来る、振り回したくなった時の行動修正する模範ができる、憧れを持てる、また会いたいと言う励みができる、療法士さんから認知行動療法など受けてみようという新しい気持が育つ、自分の気分障害を客観視して垂れ流すものではないことを悟る、約束や妥協ができる、生活に節度ができて、母親の言うことを聞き、疲労困憊さんは本来の母親の役割で母親仕事ができる、という仮説を立ててみたんですよ。

その手法でいいのかは、医療者じゃないのでいまだわかりませんが、[愛着]する設定の人として、疲労困憊さんを、一時的にでも離す方法は、取った方がいいと思います。

息子さんに「休みなさい」というのでは、伝達方法として伝わらない気がします。

Cyperus-Aさんの視点は、ありだと思います。
>お母様のほうも休養できる時期を作ったほうが良いです。

息子さんを入院させる、が現実的だとは思いますが、入院の権限で一番強いのは母親なので、疲労困憊さんが入院を勧めても息子さんは動かない気がします。

目的は
>このまま…学校に復学させると、“どうしたらよいかわからない(@_@)”という混迷の…不安
という、息子さん主体の引き離しなのは変わりません。周囲の人全員に共通理解を取ってまわるのが良いと思います。

その上で、ASをよく分かった病院に、疲労困憊さんが「うつ」「栄養失調」「衰弱」なんかの適当な理由を付けて、入院させてもらうんです。ゴルフクラブで暴れるなら、付ける理由になると思うんですけどね。(ゴルフクラブやバットは物置の暗くて汚い所にしまいましょう。私は頭に血が昇っている時に、汚い物は持ちたくなくなりますね。)

(昭和時代の古本の、精神関係の本に、家庭内暴力のおさめ方として、家族がある日、全員忽然と、何週間も消えて見せるというのがありました。何週間もたってから、母親が食べ物だけ置きに来て、口を効かないで帰ると、「ありがとうございます」と言えるようになって、そこから更生して行った話がありました。それがヒントでした。今ならやり方は変えないといけないでしょうね)

母親が居ない日に、様子を身に来てもらう人は設定します。見に来て帰るだけ。
退院日は設定しません。息子さんに知らせないのがいいと思います。
でもまとまった長さの日数がいいと思います。
家はきれいに片付いているかは分かりません。足の踏み場が無いゴミだらけの床になっているかも分かりません。だれも手伝わなくていいと思います。
息子さんが見舞いに来たら、チャンスです。看護師にも医師にも「退院日は分かりません」と言ってもらいます。息子さんが、先が見えなくて困る経験をすること。これでいいと思います。

自分が「どうしよう、どうしよう」だけでなく、「お母さんがボクのためにダメになっちゃったらどうしよう」この不安に火を点けておく。
母親を慕う心があれば、点くと思います。

「お母さんは無限に不満を垂れ流していい存在じゃないんだ」これを実感させて、自分の成長の逃げ道では無いことを、並行して知らせていくことが必要ではないかと思いました。
「小学生の時みたいに、全てボクの先回りをして、全てボクに答えを用意していた、全て決めてくれるお母さんではもう無いんだ。暴れたらまた入院しちゃうかもしれない」と分かれば、息子さんに力があれば自立が始まります。まだそこまで至っていなければ、次の依存を向ける[ボス]を探しだすかもしれません。
賭けって、嫌ですね。

それで解決はしません。
高校という環境が本当に必要なのか、高校を出たら何をしたいのか、それは今から始められることではないのか、ここのみなさんが書いているようなことを、そこから本人に考えさせ始めるんだと思います。
療育ができる第三者は、入ってもらえる限り(家庭の中からでも)入ってもらうのが良いと思います。
息子さんは、家族以外の人の前なら自分を抑制できるからです。
抑制はおおいに結構なんですよ。そこで息子さんが誘導されちゃダメなんです。その場で純情に、高い目標や高い理想を作ってしまったら、後で反動に引き戻されるから、ダメなんです。
自分のダメ部分、母親とだけで話すと切れてしまう話題を話させ、母親と話すと切れてしまうから、限界なんだというところまで認めさせないと。
そして、母親と進路の話を話すことを、禁止くらいまでしてもいいかもしれません。その代わり、話したくなったときにいっぱい話せる人間は用意しないといけませんが。

ここまで手を掛けないと、自制しながら自分の適性と自分で向き合う、という作業は始められないと思われます。
高校を続けるのか、学習場所を変えるのか、目的があって今の高校にこだわるなら、たとえば今のクラスメイトが全員卒業するまで(格好悪いものね。)留年してから復学するのか、それまで何するのか。
予備校や塾で勉強か、バイトか、カウンセリングか、その他のことか。
自分探しをやってるうちに、大学に行きたいなどで計画変更したくなりそうか。そうしたら両親に世話になりたいか。もううんざりしたから、自分で稼いで自分で進学したいか。

そういうもろもろのことが見えてきてからやっと、一日一日にこなすことが見えてきて、疲労困憊さんがほめても切れられないこと、励まして、協力できることが、決まってくると思われます。

あいかわらず、こんなになってしまって、ごめんなさい。自分でも、長くて分かりづらいと思います。 

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