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理解してもらえない……
理解してもらえない……
理解してもらえない……自分を偽る。そして、不条理…。
抜粋してしまいました。
ご自分の周りに起きている現象を、一生懸命日記に記録しているかのようですね。
自分を偽る、これは私も一日の大半はやっている行動ですね。
あくまで“行動”です。
意識ごと解離させたりしてるわけじゃないです。
『その問題点の羅列、結論がわかんなーい!』『語尾を端折らないでぇー!』『私も模範解答を言いたかったのにそこで切り上げないでぇー!』『結局私の評価は何ぃー!私空気ぃー!?』『だから私のすべき後始末は何ぃー!?』一日、白黒つかない不満の向かい風ですよ。口で言わないだけ。
言わない。仕方なく動く。仕方なく聞く。間違ったら詫びる。お金をもらうから。
質問に答えがもらえたらお礼を言う。お金をもらうから。
私にキャパシティーの限界があるように、一般の人たちにも垣間見えるキャパシティーの限界。中には命の限界、職務のゴール、人生のゴールが地平線に見えてきている人も。
見込みのありそうな人間から、残り時間を掛けて教えていく高度な職人技。職人魂。
おのおのに限りのある一日の時間。体力。
家庭へ帰れば待っている、家庭の運営、介護、責任、私には反省と自己嫌悪と自我と空虚と加齢と疲労と整理されていないチラシと……。
組織の中で互いに空気を読む。代表して教えを受け継ぐ人間はだれ。身を引く人間はだれ。キャパを読む。能力を読む。モチベーションを読む。見比べる。
自己有用感とか達成感とか満足とか、振り返れば、みんなのそういうものを諦めたシカバネが、何人分も並んでる。
過ぎた時代の中に並んでいて、埋葬も途中で、次へ走り出す。
走るの嫌い、でも走ってる。気づけば私は歩いてしまう。
ごめん、私の分もいつの間にかどこかがだれかが走ってる。
嫌い。こんな現実見たくない。察知もしたくない。嫌い。
地球の重力では私は重いんだー。本当は走りたくないんだぁー。
宇宙人と地球人の共存ですよ。不条理なはずですよ。実はお互いを理解不能だったんですから。
シリウスの瞳さんは、“理解”に強い思いをお持ちなんですよね。
周りの人の期待に応える、優秀な高い理解力を持つことを、期待される空気の中で育って、結果も出してきたんでしょうね。
きっと、ネットじゃなくて、現実で私と肩を並べて働く立場だったとしても、よく勉強して過去データも把握して、マニュアルや申し送りみたいのもよく記憶して、たぶん、あなたが私を、“遅れを取った者”と見なして、無視をすることになるかもしれません。働く価値無し、とかなんとか。
シリウスの瞳さんが、人事の権限を持った上司だったら、あなたの価値観で、私を価値無し、と定め、解雇に追い込むことも可能ですよね。
能力差が現実にあるんですから。
シリウスの瞳さんが経験から編み出した、確固とした理由づけと筋道も揃えられるでしょうし、それを立証する証拠能力のあるミスなんかも揃えられるでしょうから。
しかしそれもまた現実。
そう、私は低能力。
しかしまだ社会参加してしまっているのも現実。
そして、ここにはそういう同類項を持った人が何人も集まっているのも現実。
みんな話し合っていますよ。『この現実はどういうことだ?どうして働いていけているのだ?どうして人間関係を持てているのだ?そこには何が作用しているんだ?それに基づいて自分はどうすればいいかというとこうすればいいと考えるよ!』
不条理で終わりじゃないんですよ。
自分の意志を持って、自分の考えを書いているんですよ?
優秀な人たちの世界の判定としては、聞く価値無し、の意見かもしれませんけどね。
いつまでも『理解してくれない人たち』が、シリウスの瞳さんの世界観の、社会のシンボルですよね〜。
シリウスの瞳さんの理想は、『理解してくれない人たち』に追いついて、ご自分が『一般の人を理解した優等生な当事者』になって、そのセレブ特権を手に入れて、息子さんのことも擁護と保護をしてもらい護ってもらいたいという、高嶺の花のように、私達から見上げられる?世界でしょうか。
とっくに見上げてますよー。私はねー。
私の理想はね、発達障害も、今まで認知度を広げてきた数々の障害や疾患のように、正確な理解と対応方法が広まって、援助が実行されること。
当人たちも努力しやすくなること。頑張りやすくなること。伸びやすくなること。
社会で生きやすくなること。
老人のアルツハイマーのように、癌や、性同一性障害や、白血病のように。
エイズも、知られ始めた頃に比べたら、かなり社会認知は進んできてる。
アルツハイマーに対しては、当人の人権はもとより、介護者の人権も踏みにじられていた現実が、昭和の、私の生まれる前から記録されていましたよね。
特に、舅姑に仕えるお嫁さんは、キャリアも我が子も実親も、自分の寝食も捨てることを、親族で集団で望まれましたよね。
お嫁さんに押しつけたら、みんなで思考停止できたんですよ。自分の日常に頭を戻して、老人のことはおめでたい話に勝手に脳内補正して、実態は無視して見殺しにして良かった歴史があったんですよ。
老人に寿命が来て死去しても、お嫁さんが言葉のリンチを受けて自殺した事例も、実例としてあるそうですよね。
これはお嫁さんがいくらキャパシティーを上げても、スキルを上げても、前向きな思考方法などなど習得しても、節約生活とか家事の効率化を研究しても、一人の努力では明らかに解決しないことだったんです。
それを、証明する、証言する人間がいて、沢山集まったから、一般の関係無い人たちの価値観も動いたんです。だから今は援助制度も、企業も、自助組織もできてる。まだ足りませんけどね。
この、昭和の昔のお嫁さんの人生が、今でも、いつまでも当たり前で、いいんですか?
ごめんなさいねぇ……生きてて。
私、自殺の代わりに社会適応をしていますよ。負荷かけてますよぉ。身分不相応ですよねぇ。価値無しですよねぇ。厚かましくて、ゴ―マンなのかもしれませんねぇ。
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