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私なんてもう全部独り言にしちゃうのが相応しいんじゃないかという役割すら感じそうですよ。
ろろさんは優しいですよ。
苦痛を持っていそうな人を見ると、関係性とかこだわらずに手を差し伸べられる、情のある人なんですよー。
現実の人間関係でも、老人、子ども、病人、怪我人などを助ける時も、弱者に手を差し伸べる時の共通した第一声は、そりゃぁ、「どうしましたか?話してもらえますか?」しかないですよね。
ろろさんはそれを自然にできる人なんでしょう。
いくら発達障害相手でも、聞きもしないで、察知力と努力と透視能力で、苦痛の原因を特定しなきゃならないなんて、できるわけないんですからね。
カウンセリングとか、そんな固い言い方まではいらないですが、相手を知るための聞き取りとしては、ろろさんのなさっているとおりだと思いました。スレ立ての理由として通ってると思いました。
善意のろろさんに後悔させてしまったり、気を病ませてしまったのは私のせいです。
シリウスの瞳さんは、先の展開を見通せる頭の良さそうな方なので、非難に非難で返すような、下品で乱暴な展開になりそうな振る舞いはしない人だと思います。
非難か…………非難…………
掲示板と言う場所に来るのに、ある種の非難は受け付けないって………
どうやって、受け付けないで無視して切り捨てる会話を選ぶんでしょうね。
基準をどこに置いていらっしゃるんでしょうね。
子どもの時から、人生のさまざまな居場所で、自発的な孤立を望まれることがありました。
そういう人は初対面は、他の人にするように、私にも知的でスマートな受け答えをするんです。
他の人の目がある場所では、“私にも”恥をかかせる言動はしない。
やがて、そこの人間関係で尊敬される地位を確立してくると、私をそこに存在する人間として、頭数に勘定しなくなっていく。
会話に参加すると、凍りついて固まる。
謙虚に謙虚に言葉と内容を選んで話しかけても、目線もくれないで、時にはそこの会話の参加者全員を巻き込んででも固まる。
そして、何が起こるかというと、他の、集団の構成員や会話の参加者の同情を引いていくんです。私の罪名は何?私は加害者の汚名を着るように、刑務服を無言で差し出される。
“そうか、私の罪名は発達障害だったんだ。”
それまでは、たとえ気が狂っても許されない、束縛のような混乱だった。
私の悪いところを分からない私が悪いんだ!基本的に人にこちらから悪意を示したらいけないんだ!憎しみを感じてもいけないんだ!信じなきゃいけないんだ!こちらから親しみを感じないと相手からも受け入れてもらえないんだ!うまくやれない私が悪いんだ!自分の感覚に素直になったらいけないんだ!自分の感じ方なんて持ったらいけないんだ!でも医療の人たちは違うことを言うんだ!言うとおりに受け入れられないことも私が悪いんだ!理解力が低いんだ!低い理解力を補う勉強も頑張らなきゃならないのにまだ足りないんだ!病院で『先生』と呼ばれるべき人の言うことを上手に聞けないから私は病んで、周りに迷惑を掛けてしまうんだ!私は怠け者だ!努力を怠る怠け者だから治らないんだ!調子が悪いと周りに迷惑を掛けるんだ!私が悪いんだ!私が悪いんだ!
それまでは、ダブルバインドでも、トリプルでも、自分は努力が足りないんだから何でもやらなきゃと思ってた。気遣いでも尊敬でも愛でも手当たり次第にやみくもに、注げるものは何でも、お薬飲みながらでも、力任せに注ごうとした。
“尊敬”とか“愛情”とか、実はそういうものにデリケートで繊細な扱い方があることを知るまでは、ともかく正しくない使い方をした。
知的でスマートで、その中のある種の人たちって、『謙虚』の振る舞いを身に付けているから、上から見下ろすように見えることしない。
下界の愚民が自分たちから、自発的に、見上げるように、仕向ける。
そもそも視界に入れない。
私が周囲不注意で、うっかり見落としをよくやらかすのとは違うんだけど、第三者にはうっかりに見えるよう装って、完璧な悪意の無さをアピールできる。
『はい!私は孤立の役割です!身分相応に頑張ります!』と役割を明らかにしてもらえることはなく、しゃべりたい話の用意と欲求はそのまま脳内に持続されたまま、口をふさがれ拘束される。
だから、そういう人が許される世の中は変わらないこと、一般人たちは変える気も無いこと、差別が存在すらしていないことになっていることを知った今は、私は、自発的に孤立を進み出る、自己責任で勝手に孤立している人という役割を引き受ける人、どんな人も、何をしてくる人も、だれもかれもを尊敬して自分を卑下して、自己分裂を抑圧していつかまた病んでザマを見る、という役割の人として、社会でお金をもらうんだと自覚しています。
隅々まで明確に期待を把握しないと、何か失敗するのが不安だし、非常に落ち着かないからです。
シリウスの瞳さんは、ネットの掲示板にさんかするからには、全ての人に満足されるような言動を取れるご自分が理想だったと思いますが、その理想を叶えるためには、口をきいてもらえない人にも役割があるわけですよね。
口をきいてもらえないことに気づくとか、自覚するとか、そんな自分の面子を傷つけるようなKYな言動は、本来は取ったらいけなかったんです。私、いけない子ですね。
確かに、反応できる人には反応して、一生懸命な自己開示?をなさってます。
そういう、自己開示とか、人に心を開くような行動に出る前に、(私も現実世界では何故かそうなんですが)結構親切な人に手間を掛けさせていらっゃいますよね。
頭の回る人は、その際に上手に自分を持ちあげさせてしまい、会話の参加者たちにも自分を持ち上げてくれるのが自然な流れのような錯覚をさせ、自分の精神的な味方も増やせてしまう。いいなあ。
シリウスの瞳さんには、まだ開花していませんがそういう才能はおありだと思いました。
ご自分の好きなように、ご自分らしく昼休みを過ごされたいことも、やっとお書きになっていらっしゃいます。
“自分らしく”の、その内容こそが掲示板で相談するにふさわしいことだと思うのですが、苦痛を感じていたのに、ご自分で結論付けて完結していますよね。
参加者は、『アドバイスを欲しがってはいないけど本当は苦しんでいる可哀想な人に、同情や励ましを上手にできない人』という役割を受け入れざるをえなくなっています。
周りの人に、そういう気持を与えることは、私のようなヘタレにとってはプレッシャーにもなります。
うまく言えませんが、こういうふうに、自己開示する場所がズレていくことで、今回ユーンさんも指導してくださったように、悩んで相談している人も追い詰めてしまうことというミスをやってしまうんじゃないでしょうか。
あるいは、悩んで相談に乗って欲しがっている人に向かっての方が、自己開示しやすいのでしょうか。
私よりも進んだ医療にかかっていらっしゃることとお見受けしますが、自己分析としていかがでしょうね。でもプライバシーにかかることなので、差し支えあれば書かなくて良いと思います。
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