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返信ありがとうございます。
またまた悲観的な内容になってしまっていますが、すいません。
批判ではないので、事前にご了承ください。
私はどちらかというとクローズの人間なのでそういう視点から。
>エジソンは1%の閃きと99%の努力と言っています。
科学者エジソンもASだったという話を前提にしていたんですけど、伝わりましたか? 伝えきれていなければすいませんm(_ _)m
> 最近ひそかに、“知的障がい者”の方が描いたり・造ったりした作品が
>ブームになっていることからも、少しその業界がそのことに気づき始めて
>いて、まだそんなに正当的とはいいがたいものの、少しずつ評価の有り様
>に変化が生じてきているのは、うれしいことです。
>
Cyperus-Aさんはおそらく「障害者」という枠(差別的概念)がちょっと許せないのかな? と思います。
さて、その「枠」が取り払われて、個人と個人で技術や美術が認められる(絶対的に)ということは難しいですよね(^^;
「知的障害」だから脚光を浴びられる。と。
> 後一歩、例えば、あまり僕自身は“障がい者アート”という云い方は
>望ましくない気がするんですけれど、あえて“チャレンジド”というか…
>プロではないけれども、地道に創作を続けていく人たちの作品の収集を
>していく美術館や、その作品をベースにした実用品の販売を行う機構が
>できていってほしいなという気がしてます。
確かにそういう機構があればいいかもしれません。
逆にそういった「枠」を利用して、利用するケースもあるのではないのかな?
と思うのです。
悪い人が多いのかな? というのが私の考えです。
障害の有無にかかわる「弱者」ではなく、
私たちは「社会的弱者」という立場で、「利用されるケース」が多いと思います。
……最近人間不信に陥っているので、そういう考えをすることが多いのかもしれません(^^;
Cyperus-Aさんの言う「機構」を私たちASとか、障害者たちが力を合わせて
アプローチしていけば、また社会の認識も変わるかもしれないと思います。
「こんなものがあったらいいのにな♪ こうなったらいけたらな♪」
から
「こんなものを考えてるけどどうしたらいい?」
そして、
「こういう風にみんなでしていこう!」
と「自分たちから社会へアプローチ」できるようなそういう風潮になっていければと思います。
そうすれば「社会的弱者」という認識そのものが変わるんじゃないかなと思います。
事実、ASだったエジソンが発明王と言われるようになったのは、
彼の狡賢い「自分からのアプローチ」だったと思います。
(実際ずるい人だったと言われていますが、それを差し引いて)
なら、1%の魅力を引き出せる99%のアウトサイダーに
私たち自身がなっていくべきかもしれませんね。
差別や偏見はなくなるとは思いませんが、
「差別・偏見」なんものもんじゃと、踏みつけて私たちASやら障害を持っている方々が堂々と旅立てるようなそんな社会構成……。
そういう風にしていく努力が必要なのかなと思います。
というか、私的にはそういう風にしていきたいと考えてます。
PS:
[#43466]
Cyperus-Aさんのこのレスで『遊戯王』の漫画の話を「趣味・特技」という点でスレッドを立てさせていただきました。
「趣味・特技」という話題で、
この漫画の話は外せないと思ったんです(^^;
ヲタクですね。
ASさんは受け身になってしまうことが多いので、
自分から行動に出る、それも大切なことなのかなと思います。
なんか、冒頭批判ぽくなってしまいましたが、
こういう風に夢のある話ができて、私は嬉しく思います(^^
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