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▼まくいるそちとるさん:
最後に私も書かせていただきますね。
友達の失くし物を探してあげた例え、時間取って考えていらっしゃった例えなのだと思います。
子ども目線に立つと、子どもは時間感覚も未熟で、集中しやすいので、探している間に、やりたかったことをしないでしまう、忘れてしまう、そこでなにかの犠牲が発生すると思われます。
学校が終われば、子どもの時間は親の監督責任です。
なにか家族の都合に沿わない事態になって、叱責の時に、それを説明しなさいと親などに言われ、言ったとしても、隠したとしても、自分の落ち度としてそれはカウントされます。
たとえばもし家族にも不安定要素を抱えている人がいたら、子どもは普段から自然に、負担を引き受け、負担であるはずの気持の処理を、受け負う努力をするものだと思います。
母親と祖父母が嫁姑で険悪、両親が険悪、兄弟が親と険悪だったら、その後味や空気の悪さを、自律神経系を崩しても我慢する子もいる。
いい関係にしようとして、自分の家族は仲良しだと頭の中で書き変えようとして、日頃から時間とエネルギーを使い、妄想に逃げ込む子もいる。
そこになおさらの負担を掛けてしまう。
それらに該当する子が、もしかすると邪魔された、と感じることで、「すごく嫌な思いをした。」という経験をして、刷り込みをされていくものじゃないかと思います。
子どもは学びますから、学ぶのが仕事みたいなものですから、“理不尽”の概念を、育つ途中で学ぶ。
そんな思いに近い思いをする子もいるんじゃないかな。
経験しませんでしたか?
親御さんに、人のことばっかりかまっているから、自分のことが疎かになっているじゃないか!って怒られたご経験はないですか?
探している間の時間って止まってくれなくて、
地球も止まってて欲しいけど、止まっててくれなくて、
その間に、大抵は周囲に支障が、ところどころ、発生していることがある。のちのちにトラブルが発生しちゃうこともある。
トータルして判断できる子は、そういう自分の損が、嫌だって認識することが出来るのではないでしょうか。
でも、まくいるそちとるさんが、人の幸せを喜ぶことが出来るのは、人間性としていいことだし、喜ばしいことだと思いますよ。
負担過ぎない程度に、身辺が安全な程度に、私は、これからもまくいるそちとるさんにそうであってほしいですよ。
話が逸れていいですか。
掲示板に出ないでいる間、私はここのことを忘れていたわけではなかったです。
なにをしていたかというと、中東で拘束されているジャーナリストさんのニュースを聞いて、勝手にまくいるそちとるさんを連想して思い出して、複雑な気持でなんとなく心配していました。ごめんなさい。
どうして?と問われても、書きづらいので書きませんけど。
優しさであれ、真面目さであれ、正義感であれ、義侠心であれ、攻撃性であれ、なんでもいいんですが、なにかが“過ぎる”と、人はあんまり一般的では無い行動に出てしまうことがある生き物ですよね。
私は、なにかやらかしても、本来の頭の悪さで、大ごとにはしないでいられているようですが、(でもリアルの現実では迷惑を掛けてますね。)
トンデモな行動が、成功して、人の役に立って、大当たりする人って、たぶんそんなに多くないんじゃないかと思います。
だから、臆病でも仕方が無いから、多くの人は、自分を押さえ、小さくなって、生きていくようになるんじゃないでしょうか。
でも、渦中にいる時って、私もですが、大きいとか小さいとか、よく分からなくなることもあるかもしれません。
判断は、難しいのは仕方が無いので、まくいるそちとるさんには、身の安全をまもってほしいです。
さようなら。
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