アスペルガーの館の掲示板

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[#4639] 自分は一体何者だろう……か? 朧塚 05/3/8(火) 1:23 [未読]

[#4663] Re:自分は一体何者だろう……か? nobody knows 05/3/8(火) 19:18 [未読]
[#4664] つけたし nobody knows 05/3/8(火) 19:26 [未読]
[#4675] Re:自分は一体何者だろう……か? 朧塚 05/3/9(水) 2:37 [未読]
[#4688] Re:自分は一体何者だろう……か? nobody knows 05/3/9(水) 19:16 [未読]
[#4694] Re:自分は一体何者だろう……か? 朧塚 05/3/10(木) 0:22 [未読]
[#4708] Re:自分は一体何者だろう……か? nobody knows 05/3/10(木) 19:55 [未読]
[#4713] Re:自分は一体何者だろう……か? いぬかい 05/3/10(木) 21:59 [未読]
[#4714] Re:自分は一体何者だろう……か? 朧塚 05/3/10(木) 22:09 [未読]
[#4766] Re:自分は一体何者だろう……か? nobody knows 05/3/11(金) 23:20 [未読]
[#4772] Re:自分は一体何者だろう……か? 朧塚 05/3/12(土) 17:30 [未読]
[#4717] [投稿者削除] [未読]
[#4737] Re:哲学的だなぁ 朧塚 05/3/11(金) 1:31 [未読]
[#4745] 幸福とは みーぽん 05/3/11(金) 10:43 [未読]
[#4773] 揚げ足をとるようで申し訳ないが 朧塚 05/3/12(土) 17:44 [未読]

[#4663] Re:自分は一体何者だろう……か?
 nobody knows  - 05/3/8(火) 19:18 -

引用なし
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   ▼朧塚さん:
先日はどうも(^o^)。
nobody knowsです。

>自分はアスペでもADHDでもACでもなければ、一体何者だというのでしょうか?

同じく「アイデンティティ」に揺れる者として、共感。
私は、
「AC→嗜癖(AA)→AD/HD→人格障害→AS」
(ちなみに矢印は両向きだと思ってください。この中をその時々で移動してます)
と、揺れに揺れながらここまで生きてきました。その揺れとともに自分の生き方も微妙に変わってきております。
んで、結局、今考えていることは、「今、自分が『これ』と思ったら、それを突き詰めていくしかない」です。
「これ」が分からないことが「揺れ」なのは当然として。でも、とりあえずひとつひとつつぶしていくしかない。そのために「生きている」といってもいいかもしれない。(そのために周囲を巻き込んでいる泥沼もあるけど)少なくとも定型でないのは確実。今は。

12月(まあ、とんでもなく先(T_T))にDr.にかかる予定ですが、それで結論は出ないかもしれない。それで結論にはならないよなあ。自分が「そうなんだな」と思わない限り。もしかしたら一生悩み続けるのかも知れない。

ちなみに、私のHNの「nobody knows=誰も知らない」は、ものすごく自分自身の人生とかぶってしまった映画の題名とともに、
 本当の自分を誰も知らない、
 誰もはっきりとは分からない、
 私さえも知らない
という意味を込めています。(^_^;)

「アイデンティティ」の確立。これ、かつて流行した(今は認められていないので)「発達段階」にそって考えれば、とっくのとうに自分は確立していなくてはならないのです。少なくとも青年期…ありゃ。(>_<)。

診断を受けてもいい。確定するかもしれない、またしないかもしれない。診断に納得するのかも知れない、いや怒りしか思わないのかもしれない。
あるいは、人にまかせることが失敗だったと思うかも知れない、客観的な人(しかも専門家)にまかせたほうが楽なのかも知れない。
いやいや、やはり、自分自身の思いが最終的に大事。そのためになんでも受けてみようか…。

朧塚さんがどうのこうの言っているのではありませんよ。これを書きながら、自身を見つめている、のかな。

でも一番大切なのは「自分は何者であるのか=アイデンティティ」が得られない限り、また延々と放浪の旅が始まる、のだろうということを、今、思っています。

[#4664] つけたし
 nobody knows  - 05/3/8(火) 19:26 -

引用なし
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   もしも、これ妻が見たら、
「ほら、結局、自分のことしか考えていない」
と言われるだろうなあ(>_<)。

[#4675] Re:自分は一体何者だろう……か?
 朧塚 メール  - 05/3/9(水) 2:37 -

引用なし
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   ▼nobody knowsさん:
>先日はどうも(^o^)。
>nobody knowsです。
こちらこそ、先日はどうも。

>同じく「アイデンティティ」に揺れる者として、共感。
>私は、
>「AC→嗜癖(AA)→AD/HD→人格障害→AS」
>(ちなみに矢印は両向きだと思ってください。この中をその時々で移動してます)
>と、揺れに揺れながらここまで生きてきました。その揺れとともに自分の生き方も微妙に変わってきております。

えっ〜と、つかぬ事をお聞きしますが、nobody knowsさんはおいくつですか? よろしければ、教えてください。あっ、特に深い意味はございません。
ちなみに自分は二十歳です。

>んで、結局、今考えていることは、「今、自分が『これ』と思ったら、それを突き詰めていくしかない」です。
>「これ」が分からないことが「揺れ」なのは当然として。でも、とりあえずひとつひとつつぶしていくしかない。そのために「生きている」といってもいいかもしれない。(そのために周囲を巻き込んでいる泥沼もあるけど)少なくとも定型でないのは確実。今は。

自分は、いつも生きている事とは何なのか、と考えてきました。
それを知るために、哲学や宗教などに興味を持ち、自分自身を何らかの形で表現したくて小説を書き始めました。
小説の内容は、自分自身の性格や体験などをモデルにし、キャラクターを考え、ストーリーを作りました。
数少ない友人に書いたものを読ませたら意外に好評で、もしかしたら自分には執筆の才能があるのかもしれないと思い、それ以来、何作かの作品を書き上げました。
果たして小説を書く事によって、自分自身の何かが変わったとはとても思えません。しかし、こんな自分でも何かが出来るのだな、とは思いました。

>12月(まあ、とんでもなく先(T_T))にDr.にかかる予定ですが、それで結論は出ないかもしれない。それで結論にはならないよなあ。自分が「そうなんだな」と思わない限り。もしかしたら一生悩み続けるのかも知れない。

12月、遠いなあ……。
もしかして、精神科とかが満員、とかですか?
ああ〜、自分も診断受けたいな〜。

しかし、たとえどう診断されたところで、悩みが無くなるわけではなくって、
あるいは生きている事そのものが、永遠に悩み続ける過程なのかもしれませんね。

生きていくという事は、元々苦痛を伴うもので、多くの恵まれた人間は、ただそれに気付かずに一生を終えるだけなのかもしれない。
でも、生きる事の苦しみや辛さに気付いてしまった人間を、彼らは不幸な奴だとか悲観的な人間だとか、なぜ、もっと楽に生きようとしないのか、などと思い、苦しみや痛みを知ろうとしない。
でも、そんな彼らこそが、本当に、本当に幸福なのだろう。
世の中には、知らなくたっていい事の方が多くで、絶対に知らない方がいいって事の方が多くて、それを本当に知らずに一生を終える人間だっているんだ。
……いくらでも、いるんだ。
不幸を知らずして、実りのある人生など遅れない、と思ったところで、
幸福な人生とはそもそも、何の波も無い平穏な人生の事をいうのだろう。
たとえば、妥協を重ねた結果、今の暮らしに満足していて、それから何十年後かに、今までの暮らしに飽き果てて、少し悔いを残しながら死んでいくのと、
理想のみを追いつづけて、一つ目標が叶っても、また一つ新たな目標に向かって進んでいく、……それがたとえどんなに辛く苦しくても、進み続ける。
そして何十年後かに、悔いだらけで死んでいくのは、
……果たしてどちらがマシなのだろうか。
自分らしく生きて苦しみ抜くのと、
自分を殺して楽に生きるの、
……果たしてどちらがマシなのだろうか。


……そもそも、実りのある人生って何?

……成功するって、何?


……なんか色々、飛躍し過ぎました。スミマセン(笑)


>ちなみに、私のHNの「nobody knows=誰も知らない」は、ものすごく自分自身の人生とかぶってしまった映画の題名とともに、
> 本当の自分を誰も知らない、
> 誰もはっきりとは分からない、
> 私さえも知らない
>という意味を込めています。(^_^;)

そんな深い意味があったんですか(驚)
自分なんて、好きな漢字を思いつきで組み合わせただけだったのに!!

>朧塚さんがどうのこうの言っているのではありませんよ。これを書きながら、自身を見つめている、のかな。
>
>でも一番大切なのは「自分は何者であるのか=アイデンティティ」が得られない限り、また延々と放浪の旅が始まる、のだろうということを、今、思っています。

辛いですが、お互いに頑張って生きましょう。
でも、オレの方が何か先に壊れそうなんですが……。

[#4688] Re:自分は一体何者だろう……か?
 nobody knows  - 05/3/9(水) 19:16 -

引用なし
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   ▼朧塚さん:
こんにちわ。

>えっ〜と、つかぬ事をお聞きしますが、nobody knowsさんはおいくつですか? よろしければ、教えてください。あっ、特に深い意味はございません。
>ちなみに自分は二十歳です。

自分の年齢を気軽に言えるのは、二十代ぐらいまでかしら。(^_^;)
まあ、私のレス全部見たらすぐわかることなので(>_<)
朧塚さんの倍は生きてしまっています。
それが掲示板では話ができるって、おもしろい(^o^)

>自分は、いつも生きている事とは何なのか、と考えてきました。
>それを知るために、哲学や宗教などに興味を持ち、自分自身を何らかの形で表現したくて小説を書き始めました。

えーと、自慢になっちゃうかもしれないのですが。
私、随筆で賞とったことあります。
ある雑誌で、3年ほど、コーナーを担当してもいました(^_^;)
同人誌にもしばらく入ってました。
小説(創造活動全体)と発達障害はものすごく近しい関係ですよ。
先日の新聞で「いま、あいにいきます」を書いた方の記事が掲載されていて、自身で
「対人障害がある」とのこと。その方の生育歴見ると…。やめとこ。
私は、AD/HDとかPDDとか、その独特の感覚、感受性、世界観は、この世界に影響を与え続けていると思っています。(やれやれまた私の「文化論」になるので、ここまで)

>しかし、たとえどう診断されたところで、悩みが無くなるわけではなくって、
>あるいは生きている事そのものが、永遠に悩み続ける過程なのかもしれませんね。
>生きていくという事は、元々苦痛を伴うもので、多くの恵まれた人間は、ただそれに気付かずに一生を終えるだけなのかもしれない。

なんと、私があなたの生活年齢の頃、そう思っていました。
でも、この文を自分でもう一度読み直してみてください。

読みましたか?(読んでないならダメ、まず読んでみて)

あのね。
恐ろしく、否定的でない?
私はこの世界に生きているから、分かるけど。
「いや、けっこう、実は、楽天、楽天」
ならば、それで安心。何も言うことはないです。
ただ、これが、実は自分の本心だとしたら…。どこかのレスに書いたのですが、
「クリスマスのイメージ」になってしまう。
自身に対するネガティブは、「創造活動」ではとても大切な出発点だけど、普通に生きていくためには、自分を「破壊」しかねない危険因子になります。
※創造活動をするために、統合失調症の方が、あえて薬を服用しない、なんてこときたいことあります。

>……果たしてどちらがマシなのだろうか。
>自分らしく生きて苦しみ抜くのと、
>自分を殺して楽に生きるの、
>……果たしてどちらがマシなのだろうか。

こだわるよねえ。(^_^;)
堂々巡りに入っている、私と朧塚さん。
「さあ、選ぶのは、どっち?」

[#4694] Re:自分は一体何者だろう……か?
 朧塚 メール  - 05/3/10(木) 0:22 -

引用なし
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   ▼nobody knowsさん:
>えーと、自慢になっちゃうかもしれないのですが。
>私、随筆で賞とったことあります。
>ある雑誌で、3年ほど、コーナーを担当してもいました(^_^;)
>同人誌にもしばらく入ってました。

すごいっすねえ。
自分も一応、物書きを目指しているので尊敬します(驚)
あ〜、ゆくゆくは自分も何らかの形で自分を表現出来るもので飯を食っていきたいなあ(溜め息)

>小説(創造活動全体)と発達障害はものすごく近しい関係ですよ。

確かに、そうなのかもしれませんね。
色んな小説家などの文章を読んで思ったのですが、
中には、絶対に何らかの障害を抱えてないと書けないだろう、っていう感じの作品を生み出している人が何人かいました。
歴史的にも、芥川や太宰を例に何らかの精神病などを疾患している文豪は何人もいる。
モノを生み出すっていう事は、そもそも、普通で無い頭脳がなければ出来ない事なのかもしれませんねえ。

>あのね。
>恐ろしく、否定的でない?
>私はこの世界に生きているから、分かるけど。
>「いや、けっこう、実は、楽天、楽天」
>ならば、それで安心。何も言うことはないです。
>ただ、これが、実は自分の本心だとしたら…。どこかのレスに書いたのですが、
>「クリスマスのイメージ」になってしまう。
>自身に対するネガティブは、「創造活動」ではとても大切な出発点だけど、普通に生きていくためには、自分を「破壊」しかねない危険因子になります。
>※創造活動をするために、統合失調症の方が、あえて薬を服用しない、なんてこときたいことあります。

……否定的なのかなあ……?
いや、否定的なのでしょうね、自分自身に対して。
確かに、もっと楽に生きようと思ったら、楽に生きられるのかもしれません。
しかし、自分のこのネガティブ思考は、日常においてはマイナスになりますが、
創作行為においては紛れもなくプラスに働いています。
そう考えて、たとえ鬱期の時にも、この状態は苦しいけれども、作品を作る上ではきっとプラスになるんだ、と思ってなんとか乗り切っています。
……でも、やはり大切なのはバランスなのでしょうね。

ああ、でも躁の時は、結構自分、楽天的ですよ。
……それから、鬱の時期に入れば、またドーン、と落ちるのですけれど。

>こだわるよねえ。(^_^;)
>堂々巡りに入っている、私と朧塚さん。
>「さあ、選ぶのは、どっち?」

人生というものは、答えの出ない答案用紙のようなものだ、って奴ですか(結論)。
そうですねえ、答えっていうのは最終的には自分で決めるしかないのでしょうね。


追記・最近思いついたフレーズ

「幸福とは、幸福について考えない状態の事だ」

[#4708] Re:自分は一体何者だろう……か?
 nobody knows  - 05/3/10(木) 19:55 -

引用なし
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   ▼朧塚さん:
>追記・最近思いついたフレーズ
>「幸福とは、幸福について考えない状態の事だ」

いいことばですね。

ついでに、こんなことばもあります。

「幸せは、いつも自分の心が決める」
            by相田みつお

[#4713] Re:自分は一体何者だろう……か?
 いぬかい  - 05/3/10(木) 21:59 -

引用なし
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   ▼nobody knowsさん:
>「幸せは、いつも自分の心が決める」
>            by相田みつお

似た様な言葉

「それ自体の不幸なんてない。自ら不幸を思うから不幸になるのだ。」
                    byアルツィバーシェフ

[#4714] Re:自分は一体何者だろう……か?
 朧塚 メール  - 05/3/10(木) 22:09 -

引用なし
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   ▼nobody knowsさん:

鬱全開の時に、このスレッドを立てたので、かなりネガティブ思考が満開だったのですが、今日になって少し落ち着いてきました。
このまま、躁にも鬱にもならずに安定した常態をおくれたらなあ、
と思っています。

で、ちょっとだけ前向きに物事を考えてみました。

一年と少し前、自分はADHDやアスペルガーというものを知りました。
それらに関する本を読んで、自分も同じ障害なのでは、と考えました。
それらの本に書かれた事は、そのまま自分の生活の知恵や人生観などに役立ちました。
今では、少しだけ、コミュニケーション能力や社会的常識などは向上しつつあります。そういえば、自分では、何年も前に比べて、かなり成長した気がします。
昔はもっと、自閉的であったはずなのに。
他者とのズレは、今よりももっと、ずっと大きかったはずなのに。

このまま、何年、何十年もすれば、いつか自分と社会との溝が埋まる日が来るのかもしれません。そう、定型発達である”健常者”と呼ばれる方々みたいに。

その時になって、あの頃、自分はどこかが異常で、脳障害だの精神病だの言っていたが、本当は全然大した事なんてなかったんだ。
ただ、生きるのが下手なだけだったんだ。
でも、あの頃、悩み苦しんで、本当に良かった。
あの絶望は決して不幸ではなくて、未来をつかみとるための大切な贈り物だった。
夜が明ける前の深夜の闇が、一番、暗く深くて、そこから抜け出したときに、今までにない光が訪れる。

あの頃の悲しみ、苦しみ、憂い、迷い、痛み、辛さ、そして孤独は決して無価値ではなかった

そう思う日が訪れるのを、自分は切に願います。

[#4717] [投稿者削除]
   - -

引用なし
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(05/3/27(日) 1:24)

[#4737] Re:哲学的だなぁ
 朧塚 メール  - 05/3/11(金) 1:31 -

引用なし
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   ▼スモハンさん:
>「異常とは、何かを正常だと思い込んだ時だけ現れる、幻想だ。客観的には存在しない」By自分

「自分以外の人間全てが異常だ」
「全てにおいて、異常性がまったく無い者こそが真の異常者だ」
「異常と悪は本質的には同じものだ。そのどちらも、自分達とは異なるものを作るためのシステムによって作られた概念に過ぎない」
「自分を正常だと微塵の疑いも抱かぬ者よ。私はあなたを”偏執的”だという”異常性”を与えよう」
「結局の所、正気も狂気も自分自身が決めていくしか道はない」

>「悪とは、何かを正義だと思い込んだ時だけ現れる、幻想だ。客観的には存在しない」By自分

「正義という概念は、悪という概念を生み出す事によって、はじめて存在出来る」
「正義と善は違う。善悪とは対極なるものだ。正義と悪は対極ではない、この二つは紙一重にして無二なるものだ」
「お前の正義は、お前とお前を支持する者達の中にしか存在しない」
「偽善という言葉があるが、そもそも”善”とは一体何なのだ? もし、全ての善意が偽善なら、そもそも”偽”という言葉自体がなくなるのではないか?」
「悪を駆逐し尽くそうとしてはいけない。もし仮に、それが行われれば、その後、今まで悪とみなされなかったものまでも、悪なるものに変えられてしまうだろう」
「いじめや差別ですらも、する側にとっては一つの”正義”だ」
「自分が正しいと思ったものだけが、自分にとって正しいものなのだ」
「正義とは一つの信仰である」


「正義はそれにもっとも遠い者の口から叫ばれる」(マーフィーの法則)

>「幸福とは、何かを幸福だと思い込んだ時だけ現れる、現実だ。客観的に存在する」By自分

「不幸が何なのかを知らなければ、幸福を知る事など出来はしない」
「幸福とは過ぎ去った後に気付くものだ」(これは明確に何かの引用だったはず)
「幸福を求め続ける事こそが、幸福の一形態なのかもしれない」
「人生を呪い続ける事すらも、幸福の一つの形なのかもしれない」
「たとえどんな不幸とされる人間も、その者の中では、どこかに心の安息となる幸福を作り出している」
「苦しみ事こそが幸福なのだと思っている人間も、いる」

>なんてね。
>結構深いコメントだけど、きっと誰もわかってくれないな……。


結構、自分と似たりよったりの事考えていますね。


結論

「正気も狂気も、正義も悪も、幸福も不幸も、人がそれをそうだと”意味付け”する事によって、この世に存在しているのだ」

[#4745] 幸福とは
 みーぽん  - 05/3/11(金) 10:43 -

引用なし
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   ▼朧塚さん:
>追記・最近思いついたフレーズ
>
>「幸福とは、幸福について考えない状態の事だ」

幸福な気持ち、経験したことありますよ。
生まれて初めて、自分を幸福だと思った。数分間だったけど。

私には自分の意思とは関係なく、勝手に湧いてきたものでしたよ。
突然勝手に「なんて幸せなんだろ」って感じたんです。
そのとき、幸せを感じるって、感情と一緒なんだって思った。

それまでは、幸福かどうかは自分で決めるものなんだって思ってました。

私が、幸福を感じた一瞬は、苦労して苦労して産んだ まだ1歳にならない娘を、抱っこして天気のいい日にベランダに出た、そのときでしたね。

幸せは、突然やってくる。

[#4766] Re:自分は一体何者だろう……か?
 nobody knows  - 05/3/11(金) 23:20 -

引用なし
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   ▼朧塚さん:
>あの頃の悲しみ、苦しみ、憂い、迷い、痛み、辛さ、そして孤独は決して無価値ではなかった
>
>そう思う日が訪れるのを、自分は切に願います。

同じく。(^_-)
人生、「行って持って来い」だといいね。
マイナスとプラス、はじめはどっちかに偏るものだけど、どんなにマイナスな人生でも、結局人というものは死ぬまでに「プラマイゼロ」になるもんだ、という意見があります。
内心、「ほんと?無理じゃん、みんなそうなの?」とも思うけど、このポジティブな思考に切実なあこがれを抱えています。

[#4772] Re:自分は一体何者だろう……か?
 朧塚 メール  - 05/3/12(土) 17:30 -

引用なし
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   ▼nobody knowsさん:
>「幸せは、いつも自分の心が決める」
            by相田みつお

みつお、いいですねえ。

自分は、
「トマトがメロンになろうとしてはいけない。トマトはトマトであるから、
いいんだ」

が好きです。
世の中には、メロンよりもトマトが好きな人がきっといっぱいいっぱいいると思います。

[#4773] 揚げ足をとるようで申し訳ないが
 朧塚 メール  - 05/3/12(土) 17:44 -

引用なし
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   ▼みーぽんさん:
>幸福な気持ち、経験したことありますよ。
>生まれて初めて、自分を幸福だと思った。数分間だったけど。
>
>私には自分の意思とは関係なく、勝手に湧いてきたものでしたよ。
>突然勝手に「なんて幸せなんだろ」って感じたんです。
>そのとき、幸せを感じるって、感情と一緒なんだって思った。
>
>それまでは、幸福かどうかは自分で決めるものなんだって思ってました。

「幸福とは、幸福について考えない状態の事だ」の意味は、
要約すると、自分は幸福なのだろうか、幸福とはなんなのかって事に悩まず、疑わない状態の事をいうんですね。幸福じゃない人間は、おうおうにして、幸福とはなんなのかを真摯に考える傾向が強いです。

たとえば、その時、その時に、これこそが”幸福”だ、と思えても、
すぐに、”これは本当に幸福なのか?”と考えてしまえば、その人は幸福ではないのかもしれません。

”思う”と”考える”は別物だと自分では考えています。
ここでいう”幸福”とは、感情的な幸福とはまた違っているものです。

う〜ん、しかし文章自体が説明不足だったのだろうなあ。
でも、大体哲学っぽい名言などは、おうおうにして、その言葉を聞いたものが、それぞれの解釈が出来るように作られている気がする。短い文などは特に。

てえ事で、みーぽんさんがどのように解釈しようがそれはそれで正しいのかもしれない。

>私が、幸福を感じた一瞬は、苦労して苦労して産んだ まだ1歳にならない娘を、抱っこして天気のいい日にベランダに出た、そのときでしたね。
>
>幸せは、突然やってくる。


みーぽんさんは、お母さんなのでしょうか?
いいですね。自分には遠い話なのかもしれませんが、
幸せってのは、自分の子供をもつ事なのかもしれません。

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