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▼nobody knowsさん:
>先日はどうも(^o^)。
>nobody knowsです。
こちらこそ、先日はどうも。
>同じく「アイデンティティ」に揺れる者として、共感。
>私は、
>「AC→嗜癖(AA)→AD/HD→人格障害→AS」
>(ちなみに矢印は両向きだと思ってください。この中をその時々で移動してます)
>と、揺れに揺れながらここまで生きてきました。その揺れとともに自分の生き方も微妙に変わってきております。
えっ〜と、つかぬ事をお聞きしますが、nobody knowsさんはおいくつですか? よろしければ、教えてください。あっ、特に深い意味はございません。
ちなみに自分は二十歳です。
>んで、結局、今考えていることは、「今、自分が『これ』と思ったら、それを突き詰めていくしかない」です。
>「これ」が分からないことが「揺れ」なのは当然として。でも、とりあえずひとつひとつつぶしていくしかない。そのために「生きている」といってもいいかもしれない。(そのために周囲を巻き込んでいる泥沼もあるけど)少なくとも定型でないのは確実。今は。
自分は、いつも生きている事とは何なのか、と考えてきました。
それを知るために、哲学や宗教などに興味を持ち、自分自身を何らかの形で表現したくて小説を書き始めました。
小説の内容は、自分自身の性格や体験などをモデルにし、キャラクターを考え、ストーリーを作りました。
数少ない友人に書いたものを読ませたら意外に好評で、もしかしたら自分には執筆の才能があるのかもしれないと思い、それ以来、何作かの作品を書き上げました。
果たして小説を書く事によって、自分自身の何かが変わったとはとても思えません。しかし、こんな自分でも何かが出来るのだな、とは思いました。
>12月(まあ、とんでもなく先(T_T))にDr.にかかる予定ですが、それで結論は出ないかもしれない。それで結論にはならないよなあ。自分が「そうなんだな」と思わない限り。もしかしたら一生悩み続けるのかも知れない。
12月、遠いなあ……。
もしかして、精神科とかが満員、とかですか?
ああ〜、自分も診断受けたいな〜。
しかし、たとえどう診断されたところで、悩みが無くなるわけではなくって、
あるいは生きている事そのものが、永遠に悩み続ける過程なのかもしれませんね。
生きていくという事は、元々苦痛を伴うもので、多くの恵まれた人間は、ただそれに気付かずに一生を終えるだけなのかもしれない。
でも、生きる事の苦しみや辛さに気付いてしまった人間を、彼らは不幸な奴だとか悲観的な人間だとか、なぜ、もっと楽に生きようとしないのか、などと思い、苦しみや痛みを知ろうとしない。
でも、そんな彼らこそが、本当に、本当に幸福なのだろう。
世の中には、知らなくたっていい事の方が多くで、絶対に知らない方がいいって事の方が多くて、それを本当に知らずに一生を終える人間だっているんだ。
……いくらでも、いるんだ。
不幸を知らずして、実りのある人生など遅れない、と思ったところで、
幸福な人生とはそもそも、何の波も無い平穏な人生の事をいうのだろう。
たとえば、妥協を重ねた結果、今の暮らしに満足していて、それから何十年後かに、今までの暮らしに飽き果てて、少し悔いを残しながら死んでいくのと、
理想のみを追いつづけて、一つ目標が叶っても、また一つ新たな目標に向かって進んでいく、……それがたとえどんなに辛く苦しくても、進み続ける。
そして何十年後かに、悔いだらけで死んでいくのは、
……果たしてどちらがマシなのだろうか。
自分らしく生きて苦しみ抜くのと、
自分を殺して楽に生きるの、
……果たしてどちらがマシなのだろうか。
……そもそも、実りのある人生って何?
……成功するって、何?
……なんか色々、飛躍し過ぎました。スミマセン(笑)
>ちなみに、私のHNの「nobody knows=誰も知らない」は、ものすごく自分自身の人生とかぶってしまった映画の題名とともに、
> 本当の自分を誰も知らない、
> 誰もはっきりとは分からない、
> 私さえも知らない
>という意味を込めています。(^_^;)
そんな深い意味があったんですか(驚)
自分なんて、好きな漢字を思いつきで組み合わせただけだったのに!!
>朧塚さんがどうのこうの言っているのではありませんよ。これを書きながら、自身を見つめている、のかな。
>
>でも一番大切なのは「自分は何者であるのか=アイデンティティ」が得られない限り、また延々と放浪の旅が始まる、のだろうということを、今、思っています。
辛いですが、お互いに頑張って生きましょう。
でも、オレの方が何か先に壊れそうなんですが……。
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