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コメントありがとうございます。
▼wentさん:
> 「英語って、主語や目的語や補語を省略することが少ない言語」というイメージが、私にはあります。
> 一方、日本語では、「てにをは」が最後に付いている文節は状況に応じて省略されるという面が、あると思います。
> 省略された部分を、文脈や会話の前後関係から判断することが、私は下手です。
> 高校時代、古文の授業や試験で、「どうして、主語を省略しまくるんだ。意味が取れないじゃないか。」と思ったことが何度もあります。
確かに、英語やドイツ語・フランス語では主語の省略はほとんどありませんね。スペイン語やイタリア語は語形変化から一人称か二人称か三人称かが解るので、一人称は省略されることが多いです。ロシア語には、英語で言うところの「Be動詞」に相当するものがありません。
(ちなみにNHKでやっている外国語講座はひととおり聴いたことがあります)
朝鮮語には日本語の「てにをは」の概念と似たようなものがあります。
> 子供の頃、私は国語という教科が苦手であり嫌いでした。「どうやら。情緒的な読解・表現ができなければいけないということらしい。だけど、どうやればできるのかわからない。」という状態でした。国語の授業が言語に関する勉強につながるものとは、思えませんでした。
> 私の場合、国語よりも英語という教科で、日本語の勉強をやったように思えます。
私も国語は苦手で、大学受験当時の「共通一次試験」でも1000点満点で750点以上を獲得したにもかかわらず、国語に足を引っ張られました。(200点満点で115点しか取れなかった)
でもやはり考えてみれば、外国語を学ぶことによって、それまで解らなかった日本語の良さも悪さも見えてくるのではないでしょうか? それはちょうど、海外へ行って初めて日本という国のすばらしさを実感するのに似ていると思います。
その割には、最近のJ−POPSに横文字が異常に氾濫している現実が非常に気になります。
話が脱線しましたが、主語や目的語が省略されるというのは、発達障害の当事者(グレーゾーンを含む)にとっては非常に厄介なものに感じられます。私自身も誤って解釈することが多いので、コメントするときも気をつけなければならないと感じています。
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