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皆さんのレスも読ませて頂きつつ、とりあえず、もう少し考えてみました。
※秋桜さんがお元気だったら、この点についてやりとりしてみたいのですが、残念。
もう一度整理してみると、音読の状態に至るまでは、
後頭葉の視覚野から頭頂葉の運動野まで、脳の中を情報が流れていく過程が、
「文字を目で見るインプットから、声としてことばを出すアウトプット」
になります。
ディスレキシア(書字読字障害)の場合、このどこかの流れがとどこおっている状態になります。つまり、その脳の情報処理の過程上で「機能障害」があるということになります。
※機能障害…器質障害ではなく、見た目はどの部分もそろっている状態。車のエン ジンにたとえたら、同じ車なのにこれだけ、どこか「調子悪い」。
秋桜さんのコメントにあった「音韻」感覚とは、
たとえば、
音節の数とか 例:このことばは何文字でできている
音節の並ぶ順番とか 例:しりとり遊びは音韻遊び。これがうまくいかないと、ロ ボットをポロットととか言う
ですよね。この感覚はとても基礎的な力で、すっと処理できなければ、文字(いえ、やりとりも)はとても処理しにくいものになります。
また、「文字が映写機のように」というrihumさんのことばからは、言語を理論的に処理する左脳と、イメージで処理する右脳が同時に働いている、つまり「ケンカしている」状態を想像してしまいました。
※吃音がこの状態ではないかとも言われています。脳の処理が同時に起こりその処 理がしきれずに流ちょう性の課題になる
また、人は音読と黙読にかかる時間を比べたら、圧倒的に黙読の方が速いです。
それは、脳の運動野が働かなくてすむから。もしかしたら、脳の余計な部分が過剰に働いてもスムーズにいかない場合があるようです。
ちなみに、ASと定型の方では、「心の理論」(の誤信念課題)を処理しているとき、脳の違う部分が働いているそうです。
※いずれも前頭前野なのですが、ASは定型よりも、より理論的に働いている
結局、結論は出ないのだけど、m(_ _)m。
読書に人一倍お時間がかかったマナミさんは、大変だったでしょうね。
ただ、発達障害は広い概念なので、どの概念により近いのかは、私も分かりません。
F-MRIならば、脳の働いている状態が分かるそうですが、これはとんでもなく高額かつ手間のかかる装置だそうで…。
マナミさんが、そのことにどの程度「生きにくさ」を感じていらっしいますか。
発達障害の診断で最終的に「上位」(このことばあまり好きじゃないけど)にされるのは、communicationとか社会性で、それ以外は「ソフトサイン」とか「併発」と解釈されがちのようです。
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